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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ

2011年5月17日火曜日

三島の語らなかった三島~「文学そのものの美」を求めて~

杉山欣也(2008) 『「三島由紀夫」の誕生』 翰林書房



以下に、本書の概要とその感想をまとめる。

0. はじめに~本書の目的と、本まとめの流れ~
0.1. 本書の目的
本書の目的は、三島文学の更なる理解である。これまでの三島論においては、「三島が語ってきた三島」を大前提としてきた。そのため、三島自身の言及が無い点に関しての研究はおろそかにされていた。筆者はこれに意義を申し立て、「三島が語らなかった三島」、つまり、学習院時代のにおける「三島」に焦点を当てて論を展開している。
0.2. 本まとめの流れ
本書では、学習院時代の作品、三島のデビュー作『花ざかりの森』を中心に取り上げて、その作品の内容に関する論を展開しているが、本まとめにおいてはその具体的な「解説」は最小限にとどめることにする。代わりに、本書のエッセンスである「三島の語らなかった三島」という点に関しての記述を恣意的に取り上げ、まとめをした、ということにする。


1. 三島の語らなかった三島~「文学そのものの美」をもとめ~
ここでは、「0. 本書の目的」をもう少し詳しく記述し、本書の全体像とその目的をもう少しはっきりさせる。以下三項目にわたって述べる。
1.1. 読者の読みに介在する権力
筆者は本書の終わりの部分で『「文学そのものの美」に近づくために、まずは「あらゆる伝説」と「盲目的崇拝」とを払拭する』べきだとしている。(p.308) それは、これまでされてきた“三島の語る三島”による解釈への批判である。本書では

「おおげさに言えば自由な精神の飛翔を妨げ、作家の固有名のもと作品を単純なイメージに塗り固めることと同義」であり、「この先入観は、自由な思考を疎外し、容易に拭い去ることができないという意味において、ひとつの強大な権力である」(p.6) 

と述べられている。この「読者の読みに介在する権力」が「文学そのものの美」を阻害していると言うのである。 
1.2. 語られざる三島とは
三島は、自らも語るように、10代のころから一途に浪漫派であったとされている。しかし筆者は、自らを浪漫派と言い続ける態度の内に「むしろ三島が隠しておきたかったこと、知られたくなかったこと、しかし重要であったはずの何かを見出したい」と述べる。(p.12) 具体的には、三島の自己言及という場から「遡及的に定義された」10代の三島像を「三島の語る三島」とし、これに「三島の語らなかった三島」を対置することで、当時の三島を相対化することが、本書の目的である。
1.3. 具体的なアプローチ
「三島の歴史」として縦に見るのではなく、当時の学習院のありかた・人間関係・同時期の作品などの「横の関係」に注目して論じていく。これらはあまりに具体的にかつ詳細に渡って書かれているため、本まとめにおいては扱わない。

2. 感想:文学批評におけるリテラシー
 本書は一貫して、「従来の三島研究を疑う」という姿勢で本書を書いている。従来の研究がよりどころとしていた物は、三島本人の言葉であった。三島の解釈に本人の言葉を取り入れる、と言うのは、一見当然のように思える。しかし、本書が危惧するのは、「三島が隠そうとした三島」の存在であった。となれば当然、三島の言動に脚色が含まれている危険性がある。そこを問いただしてこそ、信頼できる「三島像」の獲得が出来る。
 最近、誤った情報が出回ることが多い。情報を読み違えたまま流してしまうなどの勘違いもあるだろうが、勘違いであれば、「情報元」さえ明確にしてあれば後の訂正・修正が可能である。厄介なのは、政府や団体による情報の隠ぺいや改ざんである。こうした問題行為をなくすことはもちろんだが、昨今のように「実際に起きてしまった場合」にどう対処するか、つまり、良い意味で常に疑ってかかるという態度を取っておくことが大事だと改めて感じた。

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