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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ

2019年9月1日日曜日

友達幻想 ~人と人との<つながり>を考える 管野仁

 

 最近、自由にある程度のっ分量を持った文章を書くということから遠ざかっていたため、リハビリついでに読書録をつける。なお、基本的に恣意的なまとめ方をしている。ただし、一応本文に忠実にまとめてみようと思うので、自分が勝手に考えた解釈や例を持ち出す場合は、(私的解釈)の文字を付け足す。
 今回読んだ本は、「友達幻想」という大変興味深いものだった。妻が買っていたので、横取りして読んでみた。妻曰く、「人間関係に悩んでいる中学生に読んでもらいたい本」だそうだ。
 ということで、次に挙げるような項目でまとめていこうと思う。
 1.友達幻想とは
 2.自分と他者(他人)
 3.同質性と並存性
 4.ルール関係とフィーリング共有関係
 5.人間関係と言葉

1.友達幻想とは
 「人と人とのつながりをとても重視していると同時に、人とのつながりをどのように築き上げたらよいのかという問題について悩み、人とのつながりに自身を持てなくなってきている」(p.12)。それはなぜかというと、「私達はさまざまな人間関係の幻想にとらわれているから」ではないか(p.13)、というのがこの本の趣旨である。この部分は、本の最も大切な部分だと感じたので、私の曲解が混ざってしまわないよう、ここだけは本文から引用する。ここからは恣意的な解釈とまとめで展開していく。

2.自分と他者
 世の中はざっくりと、自分と他者に分けられる。自分とは、自分のことを100%理解する存在(思春期や葛藤において、自分を見失うということについては除いて)、他者とは、自分のことを100%理解してくれない存在である。いくら親友・親子・スーパー教師であれ、他人の心を100%理解なんてできるわけがない。あの人なら私のことを100%理解してくれるはず!世の中には、そういう人がかならずどこかにいるはず!というのも、「友達幻想」のうちの一つである。

3.同質性と並存性
 同質性とは、「友達100人できるかな」でおなじみの、みんな仲良く一致団結。我ら運命共同体的な考え方。出る杭は打たれたりする同調圧力や、長いものに巻かれるような、いわば日本の「ムラ社会」的な考えである。
 一方の共存性というのは、「みんな違ってみんないい」的な、世の中にはいろんな人間がいるんだ。それが一つの集団として生活するんだから、全員と仲良くなんてしなくていい。「愛せなければ、通り過ぎよ」。ただし、挨拶はせよ。

4.ルール関係とフィーリング共有関係
 人間関係を構築する上で、2通りの考え方をする。一つは、ルール関係。みんなが幸せにするために、ルールを守ろう、という社会。急いでいても、赤信号では止まろうね、という社会。いろんな人がいる集団で生きていく中で人間関係を構築するには、こちらが大切だろう。
 一方、フィーリング共有関係とは、ウェーイ系の考え方(私的解釈)である。「みんなこれでいいよな?→うぇーいwww」みたいな関係。「あいつ嫌いだからシカトしよーぜww」もあり得る関係。
 並存性を維持するには、ルール関係を構築していかなければいけない。ただし、その上でフィーリング共有関係を持つことができれば、それは素敵なことである。

5.人間関係と言葉
 人間関係を構築する上で、ふさわしくない言葉が8つ挙げられている。
 5.1. うざい・ムカつく
  自分の思い通りにならなければ、問答無用で出てくる言葉。他者との違いを受け入れられない。
 5.2. ていうか 
  話の流れをぶった切る。上辺だけで会話を続ける魔法の言葉。 
 5.3. やばい・かわいい・チョー
  何でもかんでもこの言葉に置き換える。自分の気持を的確に言葉にしたとき、相手に受け入れられないのでは、という恐怖でもあるのだろうか。そうして感受性を鈍らせて「差」を認知できなくなってしまう。 
 5.4. キャラがかぶる・KY
  自分がどのように周りに受け入れられているか、フィーリング共有関係においてよく見られる言葉。

6.まとめ(チョー恣意的)
 友達が何でもわかってくれると思うな。他人の違いを認めろ。それが自分を認めてもらうことに繋がる。相手を拒絶すれば、自分も拒絶される。受け入れれば、受け入れてもらえる。
 そのためには、他者をまず認めよう。
 その上で、違いがある人たちともうまくやっていこう。仲良くではなく、うまく。
 そのためにはルールって必要でしょ。
 あと、言葉遣いも大切よ。
という感じだろうか。

7.終わりに(感想)
 現代の子供にあった示唆がたくさん見られる。一方、読みながら、子供向けではなく教員向けの本になっているとも感じた。所々で、読者に語りかけるような場面があるのだが、今までこちらに向けて話していたのに、急に矛先が子供に向けられたようで、違和感を覚えた。
 今回の読書録では、細かいところはほとんどカットして、大まかな部分だけをまとめている。今回割愛したなかで興味深いと感じた一節を引用して終わる。自分と他者についての章で述べられていたものである。
「親子は、他者性ゼロからスタートして、やがて少しずつ他者性をお互いに認め合う方向に行かざるを得ません」(p.109)
 他者を認めるというのが、子供の発達段階に応じた指導になっていなければならない。これは、英語の三人称単数現在の指導についての考え方と共通する部分があるように思える。