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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ

2022年9月16日金曜日

There is my 〜 はOK?ダメ?

 There is の後には、新情報がくる

というふうに教わります。しかし、実際はmyやtheが来ても、「意味は変わるけど」OKらしいです。


今回は特に、There is my…がどのような意味になるのか、について簡単にまとめます。

1.そもそもThere is …の意味は?

 何かを見つけたときや、その物体に気づいてほしいときに、「…があるよ」という時に使うらしい。つまり、「木に鳥が止まってるよ」とか、「道端に犬が歩いているよ」みたいな感覚です。

2.There is my …とすると・・・?

 There is my book on the table.

 机の上に私の本があるじゃないか。

 There is (Here is) your pen in my bag.

  (ごめんごめん)君のペン、僕のカバンの中にあったわ.


3.つまり?

 ある物体の存在を聞き手に気づいてほしいとき、There is …を使うっぽいですね。ということは、やっぱりその物体の存在という情報は、聞き手にとって新しいものでなければなりません。

 したがって、

「君の本って、どこにあるの?」

「机の上にあるよ」

というやりとりは、

Where is your book?

My book (It) is on the desk.

となる方が自然。なぜなら、My bookについては、聞き手も話し手も同じものをイメージしている(旧情報である)し、聞き手はon the deskという情報を知りたいから。

しかし、

「あれ、机の上に君の本があるよ。」

Oh, there is your book on the desk.

は使えそうです。なぜなら、まさかこんなところに自分の本があるなんて聞き手も思ってなかったことで、your bookという情報が価値をもつから。

4.細かい話

 このThere is には、なんか良くワカンナイ議論がなされています。それは、

There is …という、「…がある」という言い回しなのか、それとも、A book is there.の倒置(語順の入れ替え)なのか

という議論です。ネットをソースにして探してみましたが、私には結論を見つけることができず、結局頓挫しました。よって、駄文に蛇足として、私の個人の見解(こう理解しておくと私の頭が平和になるもの)を書きます。


There is a …新情報が後にくる場合は、そういう構文。単純に、…があるよ、という意味。

There is my…旧情報でも後ろに来ている場合は、倒置。したがって、「そこに!そこにあったのか!…は。」くらいの意味。


6.終わりに

結局のところよくわからないのですが、どっちでもいいのかな?

とりあえず、単純に「〜がある」と述べたいときは、there is a ...を使う方が無難だし、myを後ろに置かない、としておいた方が安全そう。

2022年9月6日火曜日

仮定法過去をどう説明するか。 I were ってなに?

  備忘録的に残します。また、ラテン語とか all greek to meなので、スーパーにわか知識で書いてあるところがあります。


1.そもそもなんで現在のことを表すのに過去形なの?

 これについて、少し日本語を参考にしてみます。

・昨日は金曜日だった。

 過去のはなしをしていますね。「〜だった」は、過去を表す事ができます。

・(そういえば)明日は金曜日だった。

 いわゆる、未来を話す時にも「〜だった」を使いますね。

・今日が金曜日だったらな。

 今のことについて話をしています。これも「〜だった」です。


①昨日は金曜日だった。

②明日は金曜日だった。

③今日が金曜日だったらな。(例えば、今は月曜)

①は、「金曜日」が、昨日という、現在から【時間的に】離れたところにあることを表し、

②は、「明日が金曜」である事実が、現在から【意識の上で】遠くにある(忘れていた)ということを表し、

③は、月曜である現実が、「金曜日」と【事実的に】離れていることを表す。


つまり、ざっくりいうと、

日本語においては、なんらかの形で現在(現実)と距離があることについて、「だった」を使うことができる

と言えるのだ。…としておきます。(実際はもっと複雑で、筆者は完全に理解しておりません。)

英語でも似たような事が起こるのだ、と考えると、理解しやすい気がします。


2. was vs were

 I wish I were a bird.

かつてCMで女の子が叫んでたやつ。I wasじゃないのか、とか、If I was ...じゃダメなのか、など、いろいろあるので一旦整理します。

【私が知っている事】

・I wasでも良い。

・I wereでも良い。

【私が知らない事】(今回は無視する事)

・If it were not for や、Were it not for、were to、Were I youなどの、構文(成句表現?)や倒置表現においてもwasとwereを入れ替えてもいいのかどうか。


ということで、wasでもwereでもどっちでも良いのですが、大体生徒が聞いてくるのは「なぜwereを使うのか」です。


3. wereをつかう理由は?

いろいろな説明の仕方があります。有名なのは、

・wasではなくwereを使う事で、事実と違うことをわかりやすくするため。

 これは間違いとはいえませんが、勘違いを起こすこともある表現です。

・現在、過去、過去分詞、のような感じで、仮定法に使う形があった。それは、waereという形であ(aeは、発音記号で見るような繋がった形)であったが、wereと似てるからもうwereで良いじゃん、みたいな感じで、今に至る。

確かに、仮定法(ラテン語では接続法?)ということを表すために、were(waere)を使うのですが、

「本来はyou とか複数形につかうwereをIに使うことで…」

と説明してしまうと嘘になる。本来も何も、元々Iに使うためのwaereだったのだから。


4.おわりに

今回は、アスペクトとかテンスとか、なんか難しそうな言葉は使いませんでした。また、筆者の知識と理解の不足から、必要以上に砕けた表現でお茶を濁している部分もあるため、言語学的に正確な説明にはなっていない部分が多いと思いますので、もしご一読いただけるなら、この点に十分に留意していただければと思います。

2022年9月5日月曜日

do my homework にmyっているの?

  結論としてはいらない。


なお、以下の記事は個人的なメモとして残す程度のものであり、真偽の裏どりはそんなにやってないので、そんなもんだと思って下さい。


1. そもそもhomeworkとmy homeworkの違い

 "homework"は、概念としてのいわゆる「宿題」。

Almost all students in Japan will be assigned homework.

日本の学生は、ほぼ100%宿題を出される。

 

"my homework"は、「私に割り当てられた(出された)宿題」

I know that I have to do my homework, but I don't want to.

宿題をやんなきゃいけないのは分かってるけど、やりたくねーなー。


2. I did homework.は正しい?

私は「宿題」と言うものをやった。という感じの意味になる(と思う)のでOK。

男もすなる日記というものを、女の私もやってみた。

という感じで、「巷で宿題と呼ばれているあれ。ワークとかプリントとかに取り組むアレ。自由研究みたいなアレ。アレをやったよ。」

という意味あいになりそう。


3.なぜmy homeworkと言わないといけない、という風潮があるの?

 ふつう、「宿題やった」というときは、学校で与えられたからやった、という状況が多い。ならば、「自分に出された、自分がやらなきゃいけない宿題」という文脈が多いので、"普通"はmyをつけるよね、と言われるのでは?

まぁ、もし仮になくても、

I did homework.と言った時に、「他人のをやったな!」なんて思う人はいないでしょう。特殊な文脈に無い限り、自分のをやったのだと解釈するのが適当ではないかと、私個人的には思います。

4.厳密に使い分けないといけない場面

 I haven't done homework.

と言った時、「こいつはこれまでに宿題を出されたことがないから、宿題というものをやったことが無い」と読み取れます(多分)。

もしここで、

I haven't done my homework.

と言ったなら、「こいつは夏休みの(いついつまでにやれと言われている)宿題をまだやってねーのか。」となります。

I don't like homework.

I don't like my homework.

上は、「宿題嫌い。」今回は、こっちの方が自然な表現な気がします。

下は、「今回私がやらなきゃいけない、なんなら私にしか割り当てられていない宿題がめんどくさい。」という意味になりそうです(多分)。


5.まとめ

 今回は、ネット記事(ネイティブが質問に答えるやつ)を参考に自分の意見を混ぜて書きました。

知恵袋的なところでは、「どっちでもいい」とか、「今は同じ」とか、無責任なことが書いてありました。しかし、表現が違えば厳密には意味も異なります(、というか、異なることの方が多いです)。

昔から良く言われる、

「誰の宿題かわかんないでしょ」

の説明は、個人的に納得出来ませんでした。例文を参考にしたり、ネイティブの感覚を頼りにしたりして、自分の考えを深めるって多分大事です。