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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ

2016年5月5日木曜日

私の第二の教壇

あるお店でバイトをして、やめた後のお話。雑記。
考えがモヤモヤとしていたので、書いて整理してどっかに保存しておこうと思ったのだが、ふとこの備忘録的なブログを思い出したのでここに記す。


非常勤講師をしながらも別のバイトがすごく素敵に思えて、あるときふと思い立って「掛け持ち」をすることにした。私が入って売上は伸びた。商才があるのかもしれない(ヤッタゼ)。
そして最近気がついた。
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仮説:そもそも教員をやっているひとには商才がある。

まずは教員と商人に特殊な定義を与える。
・教員:自分が楽しいと思っている教科を、それが好きな子にもそうでもない子にも提供する職業である。
・商人:自分が良いと思っている物を、それをいいと思っている人にもそうでない人にも提供する職業である。

そして特殊な教育理論と商売理論を並べてみる。
・教育:無理やり詰め込むより、生徒に考えさせて自分で理解させたほうが身につく。そして次の学習にも繋がる。
・商売:無理やり買わせるより、相手が納得したうえで買ったほうが満足する。そしてリピーターとなる。
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似ている。このバイトが素敵に思えたのは、この類似性から隣の芝が青く感じられていたのかもしれない。

ではなぜ私はバイトをやめて教員の道を歩もうと思ったのだろうか。どうせ殆どおんなじだし。むしろバイトのほうがいい成績を叩き出しているのなら、私は教員より店員に向いているのでは無いだろうか。

もちろん、教育と商売には大きな違いもある。金銭の利益という観点から見た時、教員は興味がない生徒を惹きつけることによって得られる利益はない。一方商人は、興味がない人たちをいかに惹きつけるかで利益に大きな差が生まれる。言い換えれば、教員が生徒をひきつけるのは無償の行為で、商人のは有償の行為である、ともいうことができる。

私はココの差で教員を選んだのだろうか。もしかしたらそうかもしれないが、そうでは無いかもしれない。実際のところ、なぜ店員ではなく教員を選んだのか、と聞かれるとはっきりと答えられない。それは教員という職業に対して無関心だからではなく、どちらの職業にも同じくらいのやりがいと誇りを見出しているからである。

強いていうなら、なんとなくだけどタッチの差で教員。

バイトとして働いた2年間、私は色んな事を学んだ。色んな事:主にどうやって客の購買意欲を掻き立てるか(意訳:主にどうやって客をだまくらかすか)を考えた。何を買うべきか、どんな組み合わせで遊ぶのか、子どもたちと一緒に、真剣に考えた。この2年間は、私にとってすごく貴重なものになった。

そう。あのレジカウンターは私の第二の教壇なのだ(これはキマったぜ。)