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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ

2019年10月22日火曜日

文化が人を進化させた(雑感・備忘録:教員集団におけるDominanceとPrestige)



まだ半分しか読んでいない段階での雑感のまとめ。本書が言いたいことをざっくりまとめると、次のようになる。
 人間は、猫が顔を洗うような本能をほとんど持っていない。その代わりに、社会から学ぶことを本能として持つようになった。その結果、猫は、顔を洗う、狩りのときには姿勢を低くする、という行為を獲得するが、人間はきれいな水や石鹸で顔を洗ったり、石器→槍→・・・→猟銃をもって狩りをするという行為を、必要に応じて選択的に獲得できるようになった。このような知識の継承が、人間の進化に大きな影響を及ぼしている。
 (※ここに出した例や結論は、私の理解に基づいて勝手に作ったものであり、本文から抜粋したものではないことをご理解ください。)

人間は、他人を真似ることでその文化を発展させてきた。そこで問題になるのが、どのような行為を真似るべきか、である。この問題を解決するために、人間は「強い」人物を真似するように適応してきた。それは族長。狩りの成績が良いもの、知識を持つもの、のような、その集団で讃えられるものである。そのように他人から崇拝される人物は、大きく次の2パターンに分けられる。
・Dominance(支配力)を持つ人物
 力で他人を支配している人物。他者は力を恐れ、忠誠をちかう。
・Prestige(名声)を持つ人物
 懐の大きさで、みんなから信頼される人物。他者はこの者から知識などの報酬を得るために、親しい存在になろうと試みる。

以下は、これらのことを踏まえた教員のあり方についての考察。ここからは本書の内容から大きくそれ、自分の考えのメモ。
1.支配的教員の弊害
 支配で統制しようとする教員に大切なのは、自分の力(腕力・知識など)の誇示である。ときには他の教員を貶めてまで力を誇示しようとするため、教員の中で優劣を付けがちになる。他人から讃えられることが崇拝の対象になるための要素である時、貶められた教員は生徒からの信頼も得にくくなる。逆に、他の教員を褒めたり、他の教員にへつらう姿勢を見せると、自分に力がないことを示してしまう→他の教員に頼りたがらなくなる→教員間の連携が取りにくい。

2.名声を持つ教員の利点
 名声で統制しようとする教員に大切なのは、懐の大きさである。したがって、他人を貶めることもしない。むしろ褒め称える。このとき、周りの教員すべてが、生徒にとっての
崇拝の対象になりやすい。他人に頼る時も、自分ができないから、というよりは、これは他人の得意な分野だから、という系図に持ち込むことができる。

3.支配的教員になりがちな理由
 生徒にとっても教員にとっても、力による支配のほうがわかりやすい。さらには、身につけやすい。大きな声を出し、ぶん殴ってぐうの音も出ないようにすればいいだけである。見せしめにリーダーっぽいやつを締めておけば、周りは誰がボスかをすぐに理解する。ただ、今の教育においてこんなことはできないので、知識で勝負するしかない。てっとりばやくするには、他の教員の揚げ足をとってみたり、ミスを徹底的に糾弾したり、生徒の前で他の教員を叱ったりすれば良い。

4.教員の精神年齢
 教員だって人間である。若いときは若いし、幼い。経験だって浅い。そんなときに武器になるのは、若さ、である。しかし、若い=弱いでもある。経験の無さや知識の無さを馬鹿にされる。そして、幼いからその喧嘩を買ってしまう。つい、ありもしない知識や経験を振りかざそうとしてしまう。結果、感じが悪い、もしくは独りよがりな、あるいは他人を貶める教員が出来上がってしまう。

5.教員の育成環境をつくる
 だれだって自分を大きく見せたい時期はある。名声だってそんなにない時期がある。そんなとき、周りの教員はたいてい、「あの先生は若いのに頑張っているから」などと、フォローをしてくれる。その一言だけで、生徒はその教員を崇拝する対象にすることができる。そうやって、結果的にすべての教員の「名声メーター」を上げていくことが、教員を育成するシステムを構築することになる。

6.おわりに(愚痴)
 職場の雰囲気の良さは、各個人の名声メーターの量と比例するのではないかと思っている。そうすると、雰囲気の良い職場が成績を残しやすいのも納得できる。
 そこでそれを阻害する存在が、どの職種にも存在するであろう「口やかましいお姉さま」である。控えめに言って害悪である。個人個人の名声メーターが少ない職場においては、支配傾向の人が他人を貶めてしまう。そこでターゲットにするのは、お姉さまにターゲットにされている者である。(教員のいじめも、多分こんな感じの背景があったのではないか。)結果として、名声メーターがマイナスに振り切って、生徒(客)からも同僚からもなめられる。
 みんな仲良く、おててつないでちーぱっぱ、というのは、一見幼稚な、ふざけているような印象があるが、実は社会での集団を回す上では重要な考えであると思う。

2019年9月1日日曜日

友達幻想 ~人と人との<つながり>を考える 管野仁

 

 最近、自由にある程度のっ分量を持った文章を書くということから遠ざかっていたため、リハビリついでに読書録をつける。なお、基本的に恣意的なまとめ方をしている。ただし、一応本文に忠実にまとめてみようと思うので、自分が勝手に考えた解釈や例を持ち出す場合は、(私的解釈)の文字を付け足す。
 今回読んだ本は、「友達幻想」という大変興味深いものだった。妻が買っていたので、横取りして読んでみた。妻曰く、「人間関係に悩んでいる中学生に読んでもらいたい本」だそうだ。
 ということで、次に挙げるような項目でまとめていこうと思う。
 1.友達幻想とは
 2.自分と他者(他人)
 3.同質性と並存性
 4.ルール関係とフィーリング共有関係
 5.人間関係と言葉

1.友達幻想とは
 「人と人とのつながりをとても重視していると同時に、人とのつながりをどのように築き上げたらよいのかという問題について悩み、人とのつながりに自身を持てなくなってきている」(p.12)。それはなぜかというと、「私達はさまざまな人間関係の幻想にとらわれているから」ではないか(p.13)、というのがこの本の趣旨である。この部分は、本の最も大切な部分だと感じたので、私の曲解が混ざってしまわないよう、ここだけは本文から引用する。ここからは恣意的な解釈とまとめで展開していく。

2.自分と他者
 世の中はざっくりと、自分と他者に分けられる。自分とは、自分のことを100%理解する存在(思春期や葛藤において、自分を見失うということについては除いて)、他者とは、自分のことを100%理解してくれない存在である。いくら親友・親子・スーパー教師であれ、他人の心を100%理解なんてできるわけがない。あの人なら私のことを100%理解してくれるはず!世の中には、そういう人がかならずどこかにいるはず!というのも、「友達幻想」のうちの一つである。

3.同質性と並存性
 同質性とは、「友達100人できるかな」でおなじみの、みんな仲良く一致団結。我ら運命共同体的な考え方。出る杭は打たれたりする同調圧力や、長いものに巻かれるような、いわば日本の「ムラ社会」的な考えである。
 一方の共存性というのは、「みんな違ってみんないい」的な、世の中にはいろんな人間がいるんだ。それが一つの集団として生活するんだから、全員と仲良くなんてしなくていい。「愛せなければ、通り過ぎよ」。ただし、挨拶はせよ。

4.ルール関係とフィーリング共有関係
 人間関係を構築する上で、2通りの考え方をする。一つは、ルール関係。みんなが幸せにするために、ルールを守ろう、という社会。急いでいても、赤信号では止まろうね、という社会。いろんな人がいる集団で生きていく中で人間関係を構築するには、こちらが大切だろう。
 一方、フィーリング共有関係とは、ウェーイ系の考え方(私的解釈)である。「みんなこれでいいよな?→うぇーいwww」みたいな関係。「あいつ嫌いだからシカトしよーぜww」もあり得る関係。
 並存性を維持するには、ルール関係を構築していかなければいけない。ただし、その上でフィーリング共有関係を持つことができれば、それは素敵なことである。

5.人間関係と言葉
 人間関係を構築する上で、ふさわしくない言葉が8つ挙げられている。
 5.1. うざい・ムカつく
  自分の思い通りにならなければ、問答無用で出てくる言葉。他者との違いを受け入れられない。
 5.2. ていうか 
  話の流れをぶった切る。上辺だけで会話を続ける魔法の言葉。 
 5.3. やばい・かわいい・チョー
  何でもかんでもこの言葉に置き換える。自分の気持を的確に言葉にしたとき、相手に受け入れられないのでは、という恐怖でもあるのだろうか。そうして感受性を鈍らせて「差」を認知できなくなってしまう。 
 5.4. キャラがかぶる・KY
  自分がどのように周りに受け入れられているか、フィーリング共有関係においてよく見られる言葉。

6.まとめ(チョー恣意的)
 友達が何でもわかってくれると思うな。他人の違いを認めろ。それが自分を認めてもらうことに繋がる。相手を拒絶すれば、自分も拒絶される。受け入れれば、受け入れてもらえる。
 そのためには、他者をまず認めよう。
 その上で、違いがある人たちともうまくやっていこう。仲良くではなく、うまく。
 そのためにはルールって必要でしょ。
 あと、言葉遣いも大切よ。
という感じだろうか。

7.終わりに(感想)
 現代の子供にあった示唆がたくさん見られる。一方、読みながら、子供向けではなく教員向けの本になっているとも感じた。所々で、読者に語りかけるような場面があるのだが、今までこちらに向けて話していたのに、急に矛先が子供に向けられたようで、違和感を覚えた。
 今回の読書録では、細かいところはほとんどカットして、大まかな部分だけをまとめている。今回割愛したなかで興味深いと感じた一節を引用して終わる。自分と他者についての章で述べられていたものである。
「親子は、他者性ゼロからスタートして、やがて少しずつ他者性をお互いに認め合う方向に行かざるを得ません」(p.109)
 他者を認めるというのが、子供の発達段階に応じた指導になっていなければならない。これは、英語の三人称単数現在の指導についての考え方と共通する部分があるように思える。




2019年6月28日金曜日

ハイランダーデッキと学級経営

 筆者は、カードゲームの構築のポイントを通して、学級経営のポイントを見出そうとしている。これは、筆者がカードゲームという文化を尊重しており、生徒をカードに例えることを冒涜と考えていないからである。この例えに違和感を覚えたり、憤りを覚えたりすることはせずに、一意見として受け止められれば望外の喜びである。また、ここで展開する議論は、筆者の価値観に基づくものであるため、一般的な感覚とずれている部分もあるかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。

1.カードゲームのハイランダー構築の性質
 カードゲームには、ハイランダー構築というものが存在する。本来カードゲームでは、同名カードを複数枚使用することができるのだが、すべてのカードをそれぞれ1枚ずつしか使用しないタイプの構築をハイランダー構築という。
 ハイランダー構築において大切なのは、1枚1枚の全てを根拠を持って採用すること、カード同士の関係を考えること、試合では毎回その場その場の違う展開に柔軟に対応すること、などが挙げられる。これは、カードを複数枚使用しないため、カード1枚の価値が非常に重たいこと、毎回違う手札になるため、決まった戦法が存在しないこと、が理由である。
 また、デッキ内容を調整する時、他のカードとの関係や、そのカード単体の能力を重視して少しずつ入れ替えをしていく。それは、デッキとしてよりよい試合展開ができるようにするためである。

2.学級経営の性質
 学級経営では、30ないしは40人の異なる生徒をどう活かしていくかがポイントである(と考えている)。一人ひとりの存在価値を認識し、生徒同士の関係性を考え、その場その場で様々なことに対処していかなければならない。これは、生徒一人ひとりの存在がそれぞれ尊重すべきものであり、生物である生徒を扱う上では、これという決まった指導方法が存在しないことが理由である。
 また、クラスの方向性を決めていく時、生徒同士の関係や、それぞれの生徒がどのように活躍できるかを考えて、少しずつ指導していく。そうして、最終的な卒業までに身に着けさせたい資質を養うことを目標としている。

3.それぞれの共通点
 この2つの共通点は、カード1枚1枚、生徒一人ひとりを尊重し、それらの関わりや各個人がどのように活躍する場を作っていくことを通して、自分が描く最終的なゴールを目指していることである。また、何度も軌道修正を試み、トライ&エラーを積み重ねて改善を求めている点も共通している。

4.実際の学級経営にどう活かすか
 デッキを精査する時、不要なカード、より良いものに変えることができるカードを探す。もちろん、学級経営では、クラスのメンバーを入れ替えることはできない。しかし、生徒は成長することができる。今のクラスにおいて力を発揮できていない生徒を探し、その生徒がより力を発揮できるような場面を設定したり、他の生徒との関係を作らせたりすることで、その生徒のクラスでの存在意義を高め、結果としてクラス全体がより良いものになっていけるのではないかと考える。
 どこかの話で聞いた、目立つ生徒ではなく、目立たない生徒に注目し、その生徒がより活躍できる場を提供し、育てる、というような内容のことが、カードゲームのデッキ構築の考えと似ていると感じた。
 まずは、いま活躍できていない生徒が誰なのか、また、その生徒を活躍させるにはどうすればよいのかを考えることが、学級経営における指導の一つになるのではないか。具体的には、授業での発表回数、クラスでの発言の回数を増やしたり、その生徒に話しかける回数を増やしたり、といった指導が容易に考えられる。

5.まとめ
 カードの構築も学級経営も、一人ひとりを重視することから始まる。そして、目立つ生徒や強力なカードではなく、そうでない生徒への手立てを考えることが大切である。
 カードゲームも生徒も、違う性質のものがたくさんある方が、やっぱりおもしろそうだ。