自己紹介

自分の写真
広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ

2011年4月13日水曜日

トンネル

以下、べつのところでの日記の丸コピ。当日はしんしんと雪が降り積もるトテモサムイヒデシタ。



国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪國だった。

また雪か。
道理で寒いわけですよ。

ところで長いトンネルを抜ける寸前の外界の光を見たときの気持ちってなんかこう書き表せんけどなんか解放感というか生き返った感というかあ、やっぱり外の世界はあったんだって言う再発見というかなんかこうぶゎぁっとくゎぁっとさぁぁっと開けるような包みこまれるような溶け込むような納得するような

誰かこの気持ちをわかりやすく表す言葉を教えてください。


でも、そもそもトンネルとは
一見外の世界とは
遮断された空間であるように思えて、
実はひとつながりの空間じゃけぇ

ここからがトンネル

っていうはっきりした境もないし
恣意的に境界線を決めて
出たとか入ったとか
言うのもなんか変な感じじゃし

入る前に外の世界を認めた自分が
出るときに外の世界を再発見って
これも変な感じがするけど、

なんかそんな
閉ざされざる閉ざされた空間
としての存在に
何かしらの不安を感じてしまうのが
人間なんだなぁって。

雪國の人も
抜けるとそこは雪國
って、なんか別世界に
入ったような言い方。

空間自体は同じでも
個々人の感じ方次第で
世の中の見え方って
違うんだなって。

我思う、故に我あり

っていうデカルトも

「全てが錯覚だとしたら!?」

って疑ったその時は、
世の中に確実に
存在するものは
一つもなかった。
そんな中で、

「今まさにそんなことを考えてる自分の思考の存在」

を見つけて初めて
何かが存在する世の中
になったんだと思う。

デカルトが何を考えようが、
世界そのもの
(仮にそれが存在するとして)
形を変えなかった。

彼の頭の中においての
世界に対する認識の違いが
彼の世界そのものを変え、

我思う、故に我あり

という格言として
残ったのではないだろうか

彼はこの考えにいたるまで
「何もない世界」
というトンネルのなかに
いたんだと思う。

そのトンネルが

「閉ざされざる空間」

であると知っているから
ずっと出口を探していられたし
もう一度、

「何かが存在する世界」

という外界に
出られたんだと思う。

アンドリューワイルズも
フェルマーの残した定理を
証明できると思ったから
(少なくとも、正誤の判断が
できるはずだから)
長いトンネルを
何十年もかけて
抜けようという気に
なれたんだと思う。

こんな、歴史に残るような
画期的なものじゃなくても、
僕ら一般人でさえ
よくこのトンネルを
経験してるんじゃないかと思う。

たとえば本だって
終わりがあるから、
その結末が知りたいから
ちょっと入ってみよう
と思えるトンネルだし

アニメも同じだと思う。
ただ、二次元と三次元の
区別をつけたくなかったり
つかなかったりする人は
終わってほしくない
って、何回も
トンネルの入り口に立ったり、、、
現実逃避)
ただ、いくらトンネルにいても
部屋にこもっても
同じ人間界です。

考え事、悩み事も
どこかにある出口がある
トンネルだと思います。

この日記だって、
なんか書きたいことがあって
それを自己満で
どや顔で書くための
トンネルだと思ってます。

最近僕は、ずっと人間の
嫌な部分ばっかり考えていました。
これをトンネルだとすると、
最近その出口が見えたような
やっと元の世界に戻ったような
そんな気がします。

人間が生まれつき
偽善者で、
自分のことしか
考えない生き物である。
というのは、
人間という存在(外界)の、
トンネルの部分だったんじゃないかと
思います。

実際に、人間はやっぱり
偽善者です。
トンネル内=外界
のように、
偽善者=人間
の等式を組むことはできます。

が、トンネルである
偽善の部分は、
外界からは見えないように
作られています。

その方が、
閉ざされたと錯覚する世界
つまり、人間=偽善の世界
の中で不安になることもなく
平和に、人間バンザイで
生きていけるから。

でも僕は、
なんとなくずっと
そのトンネルの中に
いてみました

そしたらやっぱり、
出口がありました

人間は
偽善であるがゆえに
また、その偽善であることを
隠して生きているがゆえに
お互いがお互いを助けあって
生きていけるんじゃないかと思います

人間は、
偽善というトンネルで
つながっている!!

それを通らないと、
人間同士のつながりは
とても大きな
回り道になるし

かといって偽善を
表に出したら
人との関わりすら
持てずに、
アレントの「活力」も
生まれなくて、
それこそ本当に
救いようのない世界になってしまう

このトンネルを通ったことで
改めて人間界を
光として再認識・
再発見することができたような
気がしています。

だから、僕はこの
トンネルがある人間の世界が
たぶん好きです。

これでやっと、
人間好きな人間嫌いに
なれたような気がします

カーテンを開けると、
やっぱりそこは
雪國でした。
僕はこの雪國に戻れて
幸せだと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿