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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ

2011年4月27日水曜日

読書の愉悦を次世代に

村上春樹(2002) 『もしも僕らの言葉がウィスキーであったなら』 新潮文庫
柳瀬尚紀(2000) 『翻訳はいかにすべきか』 岩波文庫




友人の奥君に『もしも僕らの言葉がウィスキーであったなら』という本を借りて、休憩時間中に読ませてもらったので、その感想を書こうと思う。また奥君も「奥ism」にてこの本についてのブログ記事を書いている。


村上春樹の本が手元にないため、本からの引用は読書中のメモをもとにする。

1. ウィスキーのロマン (村上春樹)
本書は、現地での取材・現地の写真などを通して、ウィスキーのロマンを読者に伝えるものである(ように思う)。その手段として村上は、「手紙」と「文学」をウィスキーの例えとして用いている。
1.1. 時間を超える存在
ウィスキーがロマンを持つ理由の一つとして、時間を超えた存在である事を挙げている。ウィスキーが世に出回るのは、作った職人の没後であるかもしれない。しかし、その職人が今あるウィスキーを作った、という事実は消えない。(p.45)こうしてウィスキーは時を超えるのである。 村上はこのことを指して、ウィスキーを飲むのは、暖炉の前で古く懐かしい手紙を読むようだと言っている。(p.57) 時がたてばたつほど、その手紙は懐かしさや味わいを増していく。
1.2. 深みを帯びた存在
熟成されたウィスキーの味わい深さを、村上は「アーネスト・ヘミングウェイ」の作品の奥深さと比較している。(p.62) ウィスキーを味わう喜びも、文学作品を味わう喜びも、こういう点では似ているのではないか。

「文学の深さを楽しむ」と言う点に関して、柳瀬の著書に興味深い箇所があったので以下にまとめる。

2. 翻訳は無上の精読(柳瀬尚紀)
本書『翻訳はいかにすべきか』に関しては、別の記事にまとめを載せているのでそちらを参照していただきたい。ここではその中でも、「翻訳の愉悦」、という箇所(第三章 p.112から)について引用する。
2.1. 堀内大學
堀内大學という翻訳者は、翻訳の愉悦を味わった人物の一人である。以下に彼が六十四歳の時の言葉を引用する。

くりかえし、くりかえしその詩を読んでいると、その詩に対する欲情が僕の内部に湧いてくる。美女に対する男性の欲情、あれと変わりのない気持ち、つまり自分のものにしたいというあの欲情だ。詩をわがものにするには、原作にフランス語の着物を脱がせ、一度裸にした上で、これに僕の言葉の着物を着せる以外の手はないと気付いた。つまり僕の訳詩は、恋焦がれる美人のやわ肌に触れると同じ気持ちでなしつづけられたというわけだ。(p.114)

彼にとって「翻訳」は「またとない精読の機会」であり、彼の「喜びの大半は、完全な精読の機会を与えられること」であった。(p.115 旧字体は新字体に改めた)

2.2. 澁澤龍彦
翻訳の愉悦を知るもう一人の人物として、澁澤龍彦が挙げられている。彼が、他人の訳書について書いたものを引用する。

訳者はこの貴重な文献を翻訳するのに、苦心惨憺したと述べておられるが、このような翻訳に伴う苦心は、他の下の別名といってもよいのではあるまいか。(p.117)


3. 読書を楽しむということ
以上、村上春樹・柳瀬尚紀の本から至極恣意的に内容を抽出して書いてきたが、要するに、

私も読書を楽しみたい

という事である。←

そして、その読書の楽しさを生徒に教えていきたい。出来るだけ多くの人に読書の愉悦を知ってほしい。

将来教師になったら、ウィスキーを残すことは出来ないが、その代わりに生徒を残していくことは出来る。そう考えたら、教員という職業は、なんと責任の重く、なんと素敵な職業だろうか。

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