ユージーン・A・ナイダ(1963) 成瀬武史訳 『翻訳学序説』開文社出版株式会社
1. 翻訳における主観性の危険
いかなる翻訳者でも、「言語の伝達内容の解釈に、対応する語と文法形式の洗濯に、そして文体上等価のものを選ぶ際に、(中略)伝達内容に注ぐ全般的な共感に、もしくはその欠如によって、左右されることは避けがたい」という。しかし一方、「翻訳者は(中略)伝達内容をゆがめることがあってはならない」。(P.224)
そこで翻訳者は、「自分自身の介入を最小限度に食い止めるよう(中略)努力をしなければならない。」
1.1. 翻訳者の介入(1) ~個人的好み~
「故意に(中略)自身の政治的、社会的、宗教的好みに合致させよう」という故意的なものよりは、「個人の仕事に作用する、無意識的な個性」による場合が多い。(p.225)
1.2. 翻訳者の介入(2) ~温情的態度~
「読者は(中略)説明を必要とするにちがいない。と思いこ」む場合や、『「改良」を施さないことには、伝達内容を伝えることが出来ないと信じたりする』場合が考えられる。(p.225)
2. 様々な翻訳
2.1.
翻訳行為の三つの基本要素
(1) 伝達内容の性格[1]
(2) 著者及び翻訳者の目的
(3) 読者の種類
2.1.1. 伝達内容
内容に重きを置くか、形式に重きを置くか。情報伝達を目的とした文であれば前者だが、「旧約聖書の文字などを織り込んだ詩」などは後者に属する。(P.228)
2.1.2. 目的
原作者と翻訳者の目的は、少なくとも「似かよった、もしくは少なくとも相反しない目的をもっている」と思われているが、そうではないこともある。本書の例では、「落語家はもっぱら聴衆を楽しませることに関心をもっている」が、その翻訳家はその地域の「人柄への洞察を与えること」に関心を持っているという事が考えられる。(p.229)
2.1.3. 読者
「予想される読者がどの程度、解読能力」を持っているかに注目する。いかなる言語においても、解読能力には少なくとも以下の四つの主要な段階が含まれる。
(1)子どもの能力
→限られた語彙と文化経験
(2)新しく読み書きできるようになった人の能力
→口頭による伝達内容はよくできるが、文書の解読は限られている
(3)なみの読み書きができるおとなの能力
→口頭・文書による伝達が割と楽に処理できる
(4)専門家の能力
→専門分野の伝達内容を解読する際に発揮される能力
2.2. 形式的等価と動的等価
2.2.1. 形式的等価
形式的等価を意図した翻訳は、以下の三点に注意して行われる。(PP.240-241)
(1) 文法上の単位
→a)品詞の対応 b)句・文の分割・再調整をしない c)句読点などの形式の保存
(2) 語の用法上の一貫性
→鍵語・用語の用法の一貫性など
(3) 原作の文脈から見た意味
→言葉遊びなどの「直訳風」再現
2.2.2. 動的等価
動的等価訳とは、その訳語がその言語として(日本語訳ならそれが日本語として)自然な訳の事を言う。動的等価を意図した翻訳は、以下の三つの点に注意して行われる。(PP.242-243)
(1) 等価
→訳語が、原語の伝達内容を示すこと
(2) 自然さ
→翻訳語の自然さ[2]
(3) 近似性
→(1)と(2)のバランスを重視しつつ、元の伝達内容から離れすぎないようにする。
3. 翻訳の評価
本書では、翻訳の基準を三点挙げている。(PP.266-267)
(1)伝達の効率
→冗長・言葉足らないよう、最小の努力で最大の理解が出来るか
(2)意味が再現される正確さ
→形式的等価・動的等価のいずれにおいても、原語の意味が取れるかどうか
(3)反応の等価
→原語を読んだ時・翻訳語を読んだ時で、読者は同じ理解(反応)ができるか
4. 翻訳における調整の方法
原語の体系を移し変える際、言い足したり、省略したりする課程が必要になる場合がある。そうした「調節」の方法が、以下の5種類に分類されている。
(1)付加
・省略のある表現の補足
・必要に応じた詳述(曖昧さ・誤解を避けるため)
・文法的に再構築するために必要な付加
・明示化(数などをよりはっきりさせる:「犬」→[a/the dog(s)])
・修辞疑問:「~だろうか(いいやそうではない)」など
・分類辞 「river」 Jordanや「city」 Jerusalemなど
・連結辞 翻訳語として「そして」などの語句を補なったほうが自然な場合
・二重語 かけ言葉の訳など
(2)省略
・反復:反復が翻訳語として不自然・冗長な場合
・指示物の詳述:詳述の必要がない場合
・接続詞:(1)の連結辞の逆
・わたりの語:egoneto→it came to pass
・範疇(時制) 過去完了形の省略など
・呼格
・決まり文句 in his name は by himなどにする、という点
(3)変更
・音声 固有名詞等「オチンコ選手」ごかいを招く
・範疇(時制)
・語類 殺人→人を殺す
・順序
・節・文の構造
・単一語にかかわる意味上の問題:みぞれ→雪とするなど
・比喩(外新構造の)表現の言い換え・明示化
(4)脚注の使用
A)言語や文化の不一致を是正
・食い違う主観の説明
・地理的・物理的事物の解説
・換算値の説明
・言葉遊びの説明
・固有名詞の補足説明
B)文書の歴史、文化の背景の理解を助ける知識の補足
(5)経験への原語の調整
時代に合わせた・時代が求める解釈・翻訳をするという事。
柳父章(1998)『翻訳語を讀む―異文化コミュニケーションの明暗―』
1. カセット効果の利点と欠点
1.1. 利点
「日本語のこういう文法構造のおかげで、私たちは中国の漢語でも、西洋の横文字でもどしどし取り入れることができた。(中略)今日、日本人が世界中の先進文化を取り入れて繁栄している原因も、こういう言葉の構造のおかげだったとも言えるだろう。」(P.28)
1.2. 欠点
一方、ここに内在する「異文化コミュニケーションの最大の欠点」にもふれている。
「元の原文の中で持っていた文脈が断ち切られ、文脈が失われている。」(P.30)
ただし本人は、カセット効果による新しい日本語を認めている。
「ブラックボックスにいれたまま、ある程度受け入れていくということです」(P.172)
2. 良い訳・悪い訳とは
以上のようなカセット効果への寛大な姿勢からも読みとれるように、著者は訳に対しての寛大さを見せている。その著者が言うには、「分かりにくい訳が悪訳である」とのことである。(P.37)
研究へ
以上から、翻訳への訳者の介入に関して・カセット効果に関しての、少なくとも二点に絞っていきたい。前者に関しては引き続きナイダの『翻訳―理論と実践』を、後者に関しては柳父の『翻訳語の理論』『翻訳文化を考える』をよもうと思う
参考文献
ナイダ=ティバー=ブラネン著・沢登春仁=升川潔訳(1973)『翻訳―理論と実際』研究社
ミカエル・ウスティノフ(2003) 服部雄一郎訳『翻訳―その歴史・展望』 白水社
ユージーン・A・ナイダ(1963) 成瀬武史訳 『翻訳学序説』開文社出版株式会社
柳父章(1998)『翻訳語を讀む―異文化コミュニケーションの明暗―』
[1] 「翻訳とは第一に言語的な作用であ」り、「一方の言語から他方に移るとき」私たちは「ほとんど同じことを言う」に止まる。この「ほとんど」の存在が、「言語の習得は、翻訳にとって必要条件ではあれ、十分条件ではない」ことの理由である。「実務テクスト」に置いては内容の伝達が重要で、「芸術的テクスト」では「語順や語数、イメージの厚みにまで気を配る」ことが重要である(ミカエル・ウスティノフ(2003) 服部雄一郎訳『翻訳―その歴史・展望』 白水社)
[2] 「文体上の特色を再現して、ことたれりとしていた。しかし新しい翻訳の焦点は、(中略)読んだり聞いたりする人、つまり受容者が、どのような感じを受けるかという点に、しぼられてきた」(ナイダ=ティバー=ブラネン著・沢登春仁=升川潔訳(1973)『翻訳ー理論と実際』研究社)