『翻訳行為と異文化コミュニケーション―機能主義的翻訳理論の諸相―』 松籟社
このまとめは、大きく3つのセクションで構成されている。(1)においては、本書で扱われている用語の説明をする。(2)では本書で行われている訳文分析のa)概要と、b)分析結果を示す。(3)では、この本の結論を、主に本書からの引用でまとめている。
なお、文中に出てくる「ST」と「TT」とはそれぞれ、「Source Text(起点テクスト:翻訳前)」・「Target Text(目標テクスト:翻訳後)」を示す。
0. 本書のアプローチ
本書は「機能主義的翻訳理論」の立場をとって、翻訳を「異文化コミュニケーション行為」として捉えている。また翻訳に影響を与える要因を「言語の差」・「文化の差」・「コミュニケーション状況」という3つの観点に分け、実際の翻訳の比較・分析を通して考察している。
1. 機能主義的翻訳理論とは:1・2章
翻訳を機能主義的に捉えることの意義は、「何のために、誰に対して、どのように、どの媒体で、といった翻訳行為を取り巻くコミュニケーション状況を自明のこととはせず、むしろそれこそが、そのように情報提供するかと言う翻訳行為を決定する要因とみなすがゆえに、翻訳の様々な現象が説明可能になるという点にある。」(p.34) つまり、今まで当たり前とされてきた“同じ原文から違う翻訳が生まれること”に焦点を当てて説明するものが「機能主義的翻訳理論」なのである。この理論は、以下の二つの理論を軸にしている。
1.1. テクストタイプ別翻訳理論(Reiß 1971, 1976)
このテクストタイプ別翻訳理論は、「あらゆるジャンルの翻訳の批評に用いることのできる基準を打ち立てる試み」(下線筆者)である(p.19)。具体的には、ジャンル別ではなく、言語が文章中で持つ主な機能を重視した理論である。
ビューラー(Bühler 1934)によると、言語は同時に3つの機能を果たすという。それは、①言語と対象との関連による「叙述機能」②言語と送り手との関連による「表出機能」③言語と受け手との関連による「訴え機能」である(p..19)。この理論を応用し、ライスはテクストを三種類に分けた。一つ目は、「情報型テクスト」、二つ目は、「表現型テクスト」、三つ目は、受け手に訴え、何らかの効力を与える意味で「効力型テクスト」である(p.21)。
ライスの翻訳理論への貢献は、「翻訳ではSTの持つ3つの機能の全てを再現できない」ならば、「せめて重要な機能だけでも再現させよう」という翻訳のあり方を示した点にある。(p.24-25)
1.2. スコポス理論(Vermeer 1978, Reiß/Vermeer 1984)
スコポス(目的)理論とは、翻訳は「TTが、どのような目的で必要とされているのか」によって左右されるという理論である。(p.29) つまり、読みやすい翻訳をするのか、原文に忠実な翻訳をするのか、という目的次第で、同じ英文からでも全く違う翻訳が出来ることを示している。フェアメーアは、「翻訳行為で最も重要なのはこの目的」であり、「翻訳でなすべきことは(中略)翻訳読者との新たなコミュニケーションを成功させることだ」と考えている。つまり、「STを介したコミュニケーションとは異なった存在意義」をTTに求めたのである。(p.26)
2. 翻訳の多様性とその要因
ここでは、3・4・5・6章を順にまとめていく。3章では、固有名詞の翻訳における多様性から翻訳の多様性を示し、続く4・5・6章では、翻訳に影響を与える要因:「言語の差」・「文化の差」・「コミュニケーション状況」を実例から分析している。
2.1. 固有名詞の翻訳:3章
固有名詞の翻訳では、「綴りや音をなぞるという方法をとるのが一般的」であると考えられがちだが、「意味的側面が価値を持つ場合もあり、翻訳する際に音を重視するか意味を優先するかの選択を迫られたり」もする。(p.45-46)「限定的な訳しか許されないと思われる固有名詞においても、様々な訳出がなされている」ということから、「翻訳と言う行為における訳語選択の多様な可能性」を示唆している。(p.66)
2.2. 言語差が与える影響:4章
a) 概要
異なる言語間において、語彙や文法は必ずしも一対一に対応しない。ここでは、名詞の単数・複数という数の文法に絞り、「言語の違いが翻訳でどのような現象を生むのか」、「その差を埋めるにはどのような方法があるのか」について、村上春樹の『ノルウェーの森』(1984)第一章の英訳・独訳における、普通名詞の訳し方から分析している。(p.70-71)
b) 著者による分析の結果
数の文法カテゴリーを持つ英語・ドイツ語においても、翻訳者の捉え方・解釈の仕方によっては「不加算名詞」や「合成語」などを使うことで、数の文法の束縛をまぬがれることができる。(p.81-82) つまり、「二言語間に数の文法的カテゴリーというラングレベルの差があるといっても、個々のパロールレベルにおいてはその差が必ずしも絶対的な影響力を持つとは限ら」ず、(下線筆者)「単複の区別を明示的に表示するかどうかは、翻訳者の捉え方をしなやかに反映するものである」と言える。(p.84-85) このように、訳者が「どのような見地に立つかで訳文が変わるのであれば、機能主義的に翻訳をみるマクロレベルの視点が必要」になるだろう、というのがこの章の見解である。(p.93)
2.3. 文化差が与える影響:5章
a) 概要
言語の差異に加え、文化の差異も翻訳に影響する。本章では、吉本ばなな著『キッチン』他のドイツ語訳と英語訳を比較・分析している。ドイツ語訳では「注」が付けられているのに対して、英語訳ではそれがまったくない。その違いの分析を行うことで、文化差が翻訳にどんな影響を与え、実際のTTにどのように現れるかを明らかにし、文化の翻訳における多様性を浮き彫りにする。(p.95-96)
b) 著者による分析の結果
ドイツ語訳は、注を付けることで「イメージ」を正確に伝える反面、「読みやすさ」が犠牲になっている。(p.105) また、「日本の若者のライフスタイルや文化を積極的に紹介」しようとする翻訳者の意図が読み取れる。(p.108) 一方の英語訳は、「異文化要素をなるべく既知の要素を手がかりにしながら読者に提供することを優先し」ていて、「正確なイメージ」よりも「コミュニケーション」が成立することを目的としている。(p.105) つまり、翻訳のあり方の違いは、「どのような翻訳を志向するのか」という違いから来ている。翻訳の目的(スコポスルール)が結束性ルールよりも重要であることが、ここでも確認できる。(p.113)
2.4. コミュニケーション状況が与える影響:6章
a) 概要
一つのSTからでも、様々なTTが成立する。それは、翻訳家たちの解釈の違い・時代の変遷などの、「コミュニケーション状況」・「翻訳行為における目的」に起因する。(p.115) 本章では特に、「媒体の異なるコミュニケーション」として、「映像翻訳」を考え、分析する。(p.116)
b) 著者による分析の結果
映像翻訳においては、「言語間の変更」以外にも、「音声から文字」という、「二重レベルの変換操作が同時に行われる」。また、「映像」や「音」などは、STがそのまま使われる。これは、「書物の翻訳ではありえないこと」である。(p.118-119) また、字幕には、「字数・時間制限」があり、「読み返し・中断」が出来ない。この時訳者は、「省いてよい言葉を取捨選択する」という、「取捨選択能力」が問われる。(p.121) このように「字幕翻訳」は、「顧客にわかる字幕」を作ることが目的であり、したがって「原文至上主義」の立場からの批判は不適切である。(p.130)
3. 異文化コミュニケーションとしての翻訳:7・8章
「STとTTの間にずれが生じるのはある程度必然的である。あるいはそのようなずれは異文化コミュニケーション行為を成功させるために取られた選択行為の結果であると表現することもできよう。」(p.137) 例えば、「形式的側面を重視した翻訳」では「結束性」が問題になり、「自然な理解を目指した翻訳」では「忠実性とのバランス」が問題となる。(p.152) このように訳文分析をしていくことは、「異文化コミュニケーションの現場で何が起こっているかを具体的に見ていき、異文化理解の現状を明らかにするための有効な手段」である。(p.153) この分析に用いたスコポス理論は、翻訳をSTとの関係から見るのではなく、コミュニケーション行為として見る理論である。(p.156)
翻訳に影響を与える要因は、2で挙げた三点とのほかに、「翻訳者」の介入がある。(p.155)このことに関して、著者はこの本の締めくくりをこう書いている。
「翻訳者の介入のないテクストはない(中略)翻訳者がたとえ限りなく黒子に徹する場合であっても、それはそのように「意図」したものであるということを強調しておきたい。」(p.164)
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