自己紹介

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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ
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2011年8月3日水曜日

秋の空

RIP SLYME  ヒッチハイクガール(アルバム『JOURNEY』(2009)より) UNDER THE SKIN(アルバム『STAR』(2011)より)

今回紹介するのは、SU作曲の「ヒッチハイクガール」という曲と、FUMIYA作曲の「UNDER THE SKIN」という曲です。


1. ヒッチハイクガール

1.1. 秋
「秋の空」と言えば移り変わりが激しいもののたとえで、よく「女心と秋の空」と言われます。また、「秋風が吹く」と言うふうに、男女の関係に「飽き」が生じてきたことのたとえとしても使われます。このヒッチハイクガールという曲には、この「秋」の素晴らしい使われ方が見られます。

1.2. 歌詞 ~浮気模様の秋の空へ~
「浮気模様の秋の空」と言えば、何も聞かなくても「移り気の激しい人(この場合女性)」ということが分かります。また、「秋の空」になぞらえて、「浮気模様」とは素晴らしい言語感覚。
ちなみに、この部分を歌うSUさんは、「うわきもようのーう あきのそらえーい」と歌います。このことで、「浮気模様の 浮気の空へ」と聞こえます。



2. UNDER THE SKIN

2.1. 英語と日本語
RIPの日英語の使い方は素晴らしすぎます。前掲の「雑念エンターテインメント」の例もありますが、この曲でもそれを見て取ることができます。

2.2. 歌詞 ~ありのままを見たいのに~
この曲のサビに、「ありのまま~~」という部分があります。そこをよく聞くと、片や「ありのままを見たいのに」と言い、片や「ありのままHold me tight に」と言っています。大まかにみると、「を」と「Hold」にはほとんど違いが見られません。この二つの違いを聞き分けるには、「見たいのに」と言っているか「みたいとに」と言っているかの部分に集約されると言っても過言ではありません。


3. RIPの曲と歌詞 ~最初は歌詞を見るな~
RIPの歌は、初めは何て言っているか分かりません。実際、何度聞いても分からず、カラオケなんかで初めて歌詞が分かる何てこともあります。しかし、「1」や「2」であげたような発見は、歌詞を見ていてはなかなか分かりません。まず聞いて、そのよさを知って、それで初めて歌詞を見る。そしたらそこにまた新しい発見がある。この、歌詞が溶け込んでいるようなところがRIPのスバらしい所だと思います。「この詩にたましいとかしとかし(魂と歌詞溶かし)」という歌詞がMasterpiece という曲にありますが、こうした溶け込んだ歌詞・細かい点に配慮した歌詞には「奥深さ」が隠れているように思います。

歌詞を見るなと言いつつ歌詞を見せる矛盾を見せたところで、あとは曲を紹介して終わります。



ヒッチハイクガール





UNDER THE SKIN




ついでにMasterpiece

2011年7月24日日曜日

気づかれない小さな仕掛け

志村けん(2002) 『変なおじさん 【完全版】』 新潮文庫



本書に関してや、読んでの感想などを恣意的にまとめる。


1. 本書について
本書は、日経BP社の『変なおじさん』(1998)と、『変なおじさん リタ~ンズ』(2000)を合本にしたものである。著者の「ドリフに入ろうと思ったきっかけ」・「理想のコント像やコント観」などが書いてある。合本であるためか、一冊を通して何度か同じことが繰り返し書いてあったり、細かい流れが無いことなどがある。一方、少しずつ読みきることができるので読みやすいのかもしれない。ドリフファンや志村けんのコントのファンには読んでいて非常に興味深い本である。


2. 内容
「コントにこだわってきた」「コントしかできない」という"まえがき”から始まり、「ドリフのメンバーになるまで」「全員集合時代」「バカ殿様」「お笑いについて」「気になる人・お世話になった人」「自分のこと」など、内容は本当に様々である。また、最後の解説には「吉田拓郎」。志村けんの芸人としての生活や人間関係がちらちらと見えている。


3. "良い”コント
本書中に、志村けんのコント観についての記述があったので、それを三点にまとめる。

3.1. グループで作るコント
コントでの笑いは、個人個人が取るのではなく、全体で取りに行くものであるという。でしゃばって目立つ・笑いを取るのではなく、「自分の持ち場でちゃんと目立てば、それでいい」というのが著者の考えである。(P.74) このことは、「ONE FOR ALL」という言葉でも表されている。(PP.181-182)

3.2. 構成
 著者は、コントには順番があるという。「おもしろいコントをダーッと並べ」るのではなく「並べる順番というか計算」、つまり、「動きのコント」や「しゃべりで笑わせよう」という「笑いのパターンをどんどん変えて、しかし見ている人にはそれと感じさせないで、リズムよく見せてい」くという「バランス」が大事であるのだそうだ。(PP.133-135, 194) 
 また、台本作成の段階で『「こんなことやろうか」と考えた上で、さらに台本にしてくるときには「こんな言い方もできます」』という「プラスアルファ」などを事細かに設定すること、「ヘタすりゃ見逃しちゃうような小ネタをいっぱい入れる」ことにより「2、3回見ると、こんなこともやってる」という発見があって「何度でも楽しめる」ようなモノにすることが大切であると説いている。(PP.162, 250)

3.3. 自ら楽しむ
コントをやる人間の真剣さが伝わってしまっては面白くない。芸人も楽しむことが必要であるという。そのため著者は、「自分が好きな人を、まずゲストに呼んだり、レギュラーに加えたりする」そうである。(P.153)


4. 終わりに ~本書を読んでRIP SLYMEを想う~

 「見るたびに発見があるほどコネタを仕込む」というのが挙げられていたが、これはRIP SLYMEの歌にも見られる特徴ではないかと考えた。歌詞を見ずに聞いているだけでも色んな仕掛けに気付くし、歌詞を見て初めて気づく仕掛けもある。また、「グループの仲の良さ(グループで作る)」という点も備わっている。また、彼ら自身、とても楽しんでいるように見える。RIP SLYMEに関する記事
 こうして見てみると、コントも歌も、ひいては大抵の事に置いて、これらの「構成・団結力・楽しむこと」というのが大切なように思えてくる。

2011年6月15日水曜日

愛があるという体で

RIP SLYME (2010) 『星に願いを』(アルバム「GOOD TIMES」より)


RIPがかっこいいと思うのは、空耳が関係しているのではないかと思います。斎藤孝さんもかつて何かの番組で同じようなことをおっしゃっていました。

『黄昏サラウンド』の「感じな、サウンド」が、「感じなさい」に聞こえる

という内容だったと記憶しています。

今回取り上げる『星に願いを』にも空耳っぽいところがあります。また、「単純にかっこいい」というのも、この曲を取り上げた理由です。歌詞はこちらから。

1. 空耳:シャイなStarlight
Shine the starlight. が本当の歌詞です。この曲の雰囲気からは「シャイ」というか「恥じらい」と言うか、そういうものが入ってきそうなところです。それを「恥じらう」という行為になぞらえてか、Shine the starlight のうしろに隠すところが粋じゃないですか。


2. Part time lover
御存じの方もおいでかと思いますが、Stevie WonderのPart Time Loverという曲があります。『星に願いを』の歌詞の内容は、このPart Time Loverのような感じです。違うのは、Part Time Loverは少なくとも"恋人"です。一方の『星に願いを』は、「愛のあるという体で」の話です。ふっと寂しくなった時、そのさみしさを埋める「誰か」がほしい。それで星にお願いしているなんて、小粋じゃないですか。


動画は、Part Time Lover と 「星に願いを」です。

Part Time Lover は、動画と一緒に歌詞が表示されます。↓



こちらは歌詞がついてないので別サイトから 

2011年6月14日火曜日

That's an Entertainment

『雑念エンタテインメント』 (アルバム「TOKYO CLASSIC」より)

先日のRIP SLYMEのライブがまだ後を引いています。

「震災から立ち直るために力を合わせよう」というので歌われた『運命共同体』(アルバムFIVEより)。


もう10年も前(2001)の曲ですが、なんだか新鮮です。このころの歌も良かったなと思っていろいろ思いだしているうちに、先に挙げた『雑念エンタテインメント』に行きつきました。

この曲をここに取り上げようと思ったのは、以下の二点の理由からです。


1. リズム
好きな曲はたくさんありますが、この歌は特にRYO-Zのパートが好きです。

「日々 step up してく圧 倒的 リリック 響く 地下の雑踏」

ここのリズムは神業です。
ちなみにSUさんパートの

「そりゃ い い それが いい 今の 俺 ピン ピン して生 きてる俺」

のライムとリズムも好きです。

2. サビ
今日気付いたことですが、「雑念エンタテインメント」の部分に面白い仕掛けがありました。歌詞では、

「雑念エンタテインメント」

と記載されていますが、実際に歌う時は

「ざつねん たていんめんと」

と言う風に、「雑念」と「エンタテインメント」を一緒にして歌います。ある種の複合語(?)の完成です。素晴らしい感性です。

しかしそれだけではありません。
「ざつねん たていんめんと」読むことで、

「That's an entertainment」

と聞こえます(少なくともそう考えることが出来ます)。

まさにこれこそがエンタテインメント。

That's THE entertainment であり、
They are THE entertainers であります。


どこからどう見ても、やはり、RIP SLYMEは神です。




PV↓




ライブ映像(『ジャッジメント』も含む)↓




RIP SLYME STAR TOUR 2011 広島

先日6月12日(日)、RIP SLYMEの「STAR TOUR 2011」というライブに行ってきました。

友人が奇跡的にチケットを入手してくれたおかげで、長年の夢が叶いました。

今回はそのライブに関して、思ったことなどをまとめていこうと思います。

0. 会場
今回の会場は、「広島市文化交流会館」というところ。タクシーやら人やらで賑わっていました。中に入ると、グッズの販売をしていました。タオルを買おうと思ったのですが、既に売り切れ。しかたなくタオルは諦め、Tシャツを買いました。そしてホールに。思ったよりも狭い。ステージの大きさも、大体テニスコート一面分くらい(?)でした。僕たちは会場の右後ろの席でしたが、会場の大きさが功を奏して、RIPが非常に近くに見えました。

1. オープニング
RIP SLYMEは、開演時間を厳守することで有名なようです。今回もその例にもれず、ぴったりに始まりました。開演数分前には会場の照明が消され、一分前には観客から「早く出てこい」の手拍子。僕も待ち切れずにいました。そして開演時間ちょうど、幕には特殊な照明が当てられると同時に、会場に音楽が流れ始めました。幕は内側から揺らしているのか、ゆらゆらと綺麗な模様が映っていました。ついに幕が上がり、RIPの姿が見えました。幕が開くや否や、会場総立ちです。最近ご無沙汰していたのがここに響いたのか、しょっぱなから僕の知らない曲でした。しかしそんなことは半分どうでもいいことでした。眼の前にRIP SLYMEがいる。この感動は忘れたくありません。

2. 曲とMC(RYO-Z)
知らない曲から始まったこのライブ。2~3知らない曲が続きました。一番最初に聞いた知ってる曲は、『STEPPER'S DELIGHT』。リップのデビュー曲です。そして「まだまだ止めないぜ」だかなんだか言って『熱帯夜』。と、ここまででいったん途切れます。そしてRYO-Zのトーク。これも楽しみにしていたものの一つです。「湿度が高くて蒸し暑い」という内容。次の曲の紹介は「もっと熱くしていいですか」。『熱帯夜』はもうやったし、何だろうと思ったら『太陽とビキニ』。DVDでみたあの「RYO-Zのトークからの曲」がそこにありました。他にも、ライブでしか聴けない『FUNKASTIC』や『楽園ベイベー』の、CDには無いラップ。あのライブだけのラップが、あのDVDでみたあれやこれやがそこに在りました。そんなこんなが生で見れて、ほんとに良かったです。

3. RS5
ただでも小さめのステージなのに、RIPがいるとさらに小さく感じました。歌う四人と、後ろの一段高いところ(DJボックス?)にいるFUMIYAがそれぞれに輝いていました。それでいて、彼らの仲の良さを現すような一体感がありました。RIP SLYMEの存在感の大きさは、一人一人の存在感が大きいのもあるでしょうが、この一体感によるものではないかと思いました。

4. 震災
名曲『One』が終わった後のトーク(たぶん)で、震災の事や、「復興に向けて力を合わせることの大切さ」にも触れました。広島と言う事で、「過去の悲惨な出来事」に絡めての話でした。今回のツアーは、震災の影響を受けて延期になったものもあります。それを受けてRIPは、節電などにも気を使っているようでした(RYO-Z情報)。また、グッズの売り上げの一部を寄付するなどの活動もしているそうです(友人情報)。RYO-Zはこう続けます。「僕らの曲の中にも、一つになろうっていうような曲がある。10年前くらいの古い歌だけど、聞いてください」。『運命共同体』でした。そして『Tales』が続きます。ちなみにこの『運命共同体』は、このツアーで歌うのは今回が初めてだそうです。

5. ファンサービス
『楽園ベイベー』のスクラッチの時でした。RIPのライブ、ひいてはHIP HOPのライブに初めて来た人、に「HIP HOPを知ってもらう」という企画(?)がありました。今回、FUMIYAが「ポータブル・ターンテーブル」なるものを持ってきていました。そしてその機材を持って会場をまわり、何人かの人に実際にスクラッチをさせるという非常に魅力的なものでした。その機材はべらぼうに高い代物で、しかもちょっとでも乱暴に触ろうものならすぐ壊れてしまうものだそうです。「ほんとにお願いだから優しく触ってね。赤ちゃんに触れる感じで。」と、何度もお願いするRYO-Zがとても必死でした。

6. アンコール
舞台からRIPが消えてからも鳴りやまない拍手。その拍手が次第にリズムを帯て、アンコールにかわっていきます。2・3分かもう少し位、かなり長い時間アンコールが続いていました。「もう帰ったんじゃあないか」なんて半分あきらめかけたその時、RYO-ZがSTARのTシャツを来てステージに戻ってきました。そしてRYO-Zのトーク中に他の四人が入ってきてトークの邪魔をして。アンコールなのに今更ながら、「俺らのこと知らないでしょ。自己紹介していいですか」なんて言って、『By the way』に乗せて自己紹介。ここからが熱かった。『JOINT』でタオルを振り回し(売り切れで買えなかった僕らはエアータオルで)、SUさんがファンにタオルをなげ、RYO-Zが、ILMARIがタオルを投げ、しかしPESは投げませんでした。それに続いて『Super Shooter』。会場大興奮です。そして最後は『マタ逢ウ日マデ』。こっちは2010年版、~富田流~という奴だと思います。ここでは巨大な風船のようなボールが、会場に二つ投げ込まれました。曲が全て終わり、一度全員が裏に帰ったあと、また五人が戻ってきて、それぞれ「a」「d」「i」「o」「s」「!」とかかれたキューブを置いて、礼をして帰って行きました。


7. 終わりに
以上長々と書いてきましたが、言葉では表せない素晴らしさがたくさんあったライブでした。次の公演は北海道らしいです。ちょっと場所が飛び過ぎなきがしますが。とにかく、これからも日本や世界を飛び回って、人々をを元気づけていってほしいと思います。






2011年4月26日火曜日

RIP SLYME 官能小説

RIP SLYME (2008)『届かぬ思い』 宝島社



1. 構成
1.1. 小説
RIP SLYMEの5人がリレー形式で書く官能(爆)小説、『届かぬ思い』。順番は「SU→ILMARI→RYO-Z→PES→FUMIYA→SU」で、それぞれが思い思いのエロを展開→次の人にキラーパス→完璧すぎるトラップという繰り返しで成り立っている。RIP SLYMEは、歌詞の作成においても、ある程度の共通するテーマを決めてからは完全に個人作業になるようだが、その個人作業が行われる過程をここに垣間見ることが出来るように思える。
1.2. エロトーク
ビデオを借りる、などというエロトピックに関して、RIP SLYMEが語り合うところが収録されている。

2. 内容
所謂21禁のラベルを張られそうなトピックで、中学生にでも受けそうな“ばからしさ”を展開している。「み、見られたっ! 私のいわば十八番、ビデ&ムーブを見られたっ!・・・。 殺すしかない。ビデ&ムーブを見た人物は、いかなる相手であろうと消してしまわなければならない。輝夫! 何てことを・・・・・・。」などは、ばからしいというよりむしろバカである。(p.91) しかしそれでいて、話はしっかりまとまっている。 RIP の曲を一つ聞いているかのような心地で最後まですらすら読める一冊であると思う。遊び心満載の、RIP SLYMEを知るのには、よいきっかけとなったのではないか。


3. 日本におけるエロの問題点~まえがき・あとがきより~
まえがき・あとがきにおいてSUさんは、日本のエロ問題にいくつか触れている。それは、「エビバディ情報通(p.96)」であるという点である。コンビニで簡単にエロが手に入る。「体外受精」による「精子のブランド化」、それに伴い「エロは進化し、エロは退化する」(p.96) あとがきではこの、「進化したエロ」についての言及がされている。一方、「退化したエロ」に対しては、まえがきでこう述べている。「すでにエロを卒業したと感じている人」には、その世界観を見直すいいきっかけとなるはずである。」(p.17) 「エロに背を向けることは非常に難し」(p.188)い世の中で、エロがいかにしてあるべきかを伝えるのが、この本の真の目的ではないだろうか。


2011年4月15日金曜日

Hush Little Baby~パロディーと翻訳~



0.パロディーと翻訳
パロディーとは、ある元の作品をもじって、新しい作品を作り出す行為である(とする)。これは、パロディーのもとを「原文」、パロディー作品を「翻訳文」と考えることも出来る。今回は、パロディーを翻訳行為ととらえる。このことについて、最近読んだ本「翻訳行為と異文化コミュニケーション―機能主義的翻訳理論の諸相―」にある、スコポス理論をもとに考察していく。また、動画リンクを貼ったEminemのほかにも、RIP SLYMEやFlow・AAA・EXILEなどのJpopミュージシャンも引き合いに出し、主観的な考察を加える。

0.1 スコポス理論とは
スコポス理論とは、「翻訳は、目的に応じてその姿を変える」という理論である。つまり、一般の人が読みやすい訳文を作るか、その道の研究者たちが内容を知るための訳文を作るか、映画の字幕のように字数制限内で訳文をつくるかでは、同じ英文からでも全く異なった「翻訳文」ができる。この理論をもとに、先ほど挙げたミュージシャンたちの「翻訳」を“簡単に”且つ“主観的に”分析していく。

0.2本考察の構成
本考察は、著者が良いと感じたパロディーに関して、実例を挙げながらその良さについて考察していく。

1.良いパロディーその①
ここでの良いパロディーの定義は、「目的の設定が適切で且つ達成されている。また、元ネタを知っている事で、また元ネタと照らし合わせることで、その曲の深みが分かるもの」とする。所謂、「深いうた」である。
適切な目標設定とは、元ネタの表面上の意味ではなくその「エッセンス」を理解して使っている(14・17再々まとめの、1.2.2参照)ということである。
1.1.エミネム
Facebookのエミネム関連のページで、"Why is Eminem cool?"か何かの質問と、それに対する答えが書かれていた。その答えの一つに、「エミネムは日常をうたっているから」という回答があった。このmockingbirdも、日常をうたっているものと言えるだろう。大まかな内容は、「母がいない状況の娘たちに向けたもの」である。

また、この歌はある種の”パロディー”でもある。この歌のもとになっているであろう詩は、nursery rhymesの。Hush Little Baby


この詩の内容は、「お母さんが何でも買ってあげるよ」というものである。

つまりこの歌は、「何でも買ってあげる」という内容を、「娘たちに向けた励ましのメッセージ」として翻訳(改作)したものであり、元の詩が意味したことをそっくりそのまま”エミネム化”していると言えるだろう。

歌詞にある、[I'm a give you the world]に込められているであろう気持ちは、元ネタを知っていないと見えてこないかもしれない。(元ネタではさすがにworldを付与する場面はない。この点でエミネムは、元ネタの母を凌駕している)

つまり、「元ネタをも超えるほど愛している」というメッセージを伝える目的のもとに為されたパロディーであると見ることができ、それはみごとに成功しているのではないか。

1.2 RIP SLYME

RIPに関しては、以前に「Wonderful」を紹介したページ、「wopbabalubop-wopundo」を参照。


どことなく漂う昭和の香りは、元ネタの知識なくしてはなかなか味わい切れないだろう。

詳しくはしらないが、「良き古き時代を現代に」というメッセージ(?)、もしくは「今昔融合」を目的としていると言うことが出来るのではないか。だとしたら、見事に成功している。

1.3. Flow
有名なのは、「贈る言葉」。海援隊の名曲のカバーである。別れを惜しむ気持ちを隠した、男泣きをイメージさせるような歌である(ように思う)。
海援隊とFlowでは、時代が違う。
海援隊は、正に「男泣き」である。一方、Flowは、むしろ「自棄っぱち」である。
Flowは、「自棄っぱち」をかっこいいと思ったか否かは置いておいて、「男泣き」という日本の芸術を現代語訳すると「自棄」になる、と解釈したのだろう。唯一の違いは、「男泣き」は”かっこよく”て、「自棄」はみっともない、という点である。Flowがそこを分かっているのか、「自棄はかっこいい」と勘違いしているのかには触れない。

2.良いパロディーその②
ここでは、原曲がよいため、そのままカバーした曲が良いものに仕上がっている例として、AAAの「もう恋なんてしない」を挙げる。
要するに、原曲:牧原則之(マッキー)を聞けばよいというはなしではあるが、現代の若い人が古い歌を聞くためのキッカケとしては良いであろう。
つまり、「古い歌を知ってもらおう」という目的で作られた歌であり、あながち失敗はしてないと思う。

3.良いパロディーその③
ここでは、名曲を世間にもう一度広める役割をしている歌を取り上げる。
か有名な、EXILEの銀河鉄道999(笑)である。
この曲は、999の存在を世に知らしめるためだけに作られた歌である。しかし、EXILEはここに一つ付け加えをしている。「原曲の否定」である。無様にも取り入れられたラップの箇所。その意味を見てみると、

「銀河に行くのは夢ではあるが、結局俺たちは人間だから無理。じゃあせめて、このライブで銀河に飛んでいくくらいにノリまくれ!」

というふうにも取れる歌詞になっている。http://music.yahoo.co.jp/lyrics/dtl/KAA055029/AAA180952/

つまり、この曲の目的は、「過去の偉大な作品の威を借りてひと儲けしよう」ではないか。残念ながらそれは成功を収めているように思える。

これを機に、「原曲を世に知らしめる」と言うの本来の目的を思い出して、偉大な「ゴダイゴ(Godiego)」の銀河鉄道999の良さをかみしめようではないか。



追記:銀河鉄道999に関しては、以下のブログ記事で興味深いことを述べている。






2011年4月13日水曜日

wopbabalubop wopundo

RIP SLYME  「wonderful」 (2006 アルバムEPOCHより)


何となく昭和の香りが漂ってくるようなチューン。

まず曲調。
音楽の事はよくわからないけど、コード進行か何かが古い。吉田拓郎Little Richardを彷彿させる。


次に歌詞。
巨人の星をモチーフにした歌詞で「星オブ巨人」

また、先に挙げたLittle Richardtutti fruttiなどに使われた、「A-Wop-bop-a-loo-lop a-lop-bam-boo」が、「wopbabalubop wopundo」として使われている。


この昭和とRAPの見事な融合(?)までも為し得るRIPはやはり天才です



Youtube:
Little Richard: Tutti frutti

RIP SLYME: Wonderful

You and I

RIP SLYMEの歌詞の秀逸さを、私なりに言語化します。

今回は
YOU & I
の使い方について。

よくつかわれるのは、
YOU & I と 「言えない」
の韻。

なんか使い古された感じで
とてもダサいように思えます。

ところがRIPは、これにもうひと味加えます。
UNITY
とかけて使います。

「ゆう(YOU) えん(&) ない(I)」 と  「ゆう(U) えん(N) ない(I) ティーワイ(TY)」


いんを踏んでいるのはもちろん、
あなたと私で一つ(UNIT
っていうのも隠れています。

DISCO-MMUNICATION
2002)より
口で言えなくても You I
U. N. I. T. Y.

DISCO-MMUNICATION 歌詞

YOU TUBE DISCO-MMUNICATION