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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ
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2021年8月16日月曜日

日本人の奥ゆかしさはどこへ行った?

  最近のJ-popはダサい。最近の小説やアニメ・漫画はなんか寒い。なぜだ。

 もちろん、曲にしても、小説やアニメにしても、最近のものがすべて悪いのではない。が、がっつり流行っているものの中に、「これ、ほんとにはやってんの?なんで?ニンジャナンデ?」というものが増えたという気がしてならない。私はこのことについて考えた結果、ある一つの答えらしきものにたどりついた。

 「最近のものは、なんでもかんでも最後まで説明しきってしまっている。」

 私がこの違和感に襲われたのは、「ギエピー」で有名な某ポケモンの漫画である。その漫画には、ピカチュウが登場しており、昔そのセリフはすべて「ピカチュー」で構成されていた。例を挙げるとこんな感じである。

 A「おいピカチュウ、焼きそばパンかって来いよ」

 ピ「ピー・・・ピカー・・・」

 A「(ぎろり)」

 ピ「ピ、ピカッ!」


それが、ある時から次のようになっていた。

 

 A「おいピカチュウ、焼きそばパンかって来いよ」

 ピ「ピー・・・ピカー・・・(え~、やだなー・・・)」

 A「(ぎろり)」

 ピ「ピ、ピカッ!(は、はいっ!わかりました!)」


読者のレベルがここまで下がったのか。最近の小学生はこれだから。。。と思っていたが、それからだんだん、「そこまで言う?」というものをよく見かけるようになった。漫画で言うと、

 ヒロイン「バカ!」(走り去る)
 主人公「?」
 モブ「(ヒロインは主人公のこと好きだったのにな)」

みたいな。そこは読者を信じて想像させてよ。なんで全部説明したがるの。懐古厨みたいだけど、例えば

 「苦しくっても悲しくってもコート中なら平気!バレーしてると、心がぴょんぴょんするの!…でも、涙が出ちゃう。だって、女の子だもん。」

みたいな歌詞ありましたよね。これ、現代でやると、たぶんこうなります。

 「練習が苦しくっても、うまくいかなくて悲しくっても、コートの中にいると、そんな日々のことは忘れるくらいバレーに熱中できてしまう。憧れのあの人、全然私に振り向いてくれないから、ボールにあいつの顔を思い浮かべて、打ち付けてやるの。でも、練習だってつらい。こんなにつらい思いを忘れるために練習をしてるのに、その練習もつらいなんて、私はどこに逃げ道を見出したらいいの?そんなことを考えていると、涙が出ちゃうの。だって、コートの上では強がっているけど、私だって女の子。恋に悩んだりもするのよ。でも、頑張らなきゃ。。。わかってるのに。。。どうして涙は出ちゃうの?」

はい、なんかJ-popの歌詞ができました。

 英語は、どっちかっていうと後者のJ-popみたいに、説明が大好きです。でも、日本語もそっちに合わせる必要ある?日本語は、一を聞いて十を知るが美徳なんじゃないの?がんばれ日本人!

J-popにおける 「365日」問題について

  Jpopは、「一年」をやたら「365日」と言いたがる、と揶揄されるレベルである。しかし、その真相はいかがか。というか、「詩」である以上、この単語でなければいけない!という確固たる信念の下で言葉を選んでいるはず、という前提をクリアしているかどうか、という問題である。


1.「365日」を使う効果
2.「365日」失敗例
3.「365日」成功例


1.「365日」を使う効果
 そもそも、「1年」と言うのと、「365日」と言うのではどう違うか。ざっくり、
 ・1年という時間が多く感じられる(タウリン1000mg配合!と同じ原理)
 ・1年というひと繋がりの時間を、365種類に分割する。
といったところだろう。もっとあるかもしれないが。

2.「365日」の失敗例
 上記のことを踏まえた上での失敗例を挙げる。一つは、「365日、すべての日々を君といたい」という歌詞である。一年中ではなく、365日を使うからには何らかの意味があるはず、と考えると、次のような解釈ができる。

 a: たくさんの日があるけど、そのすべてを君と一緒にいたい
 b: 1年中というよりは、365日、つまり、4年に一回ある閏年には、一日だけお互いの一人の時間を作ろうね。

bの解釈が可能な時点で、この歌詞は破綻している。そういう歌詞ではなく、ずっと一緒にいたい。春も、夏も、秋も、冬も。という歌詞なのだから、「1年中」を使うべき曲なのである。もし365日的な表現がしたいなら、The beatles のeight days a weekに習って
「380日分、1年を君と過ごしたい」とするか、生涯添い遂げたいという意味で、「21900日」(人生80年、現在20歳としたときの、残りの60年の日数)とするかだろう。どっちにしてもダサい。

3.「365日」の成功例
 その1 「365日の言葉を持たぬキャンバスに・・・」
  これは、1年という時間を365日の一日一日に切り取って見ると、いろんな風景が思い浮かぶ、という内容である。もし仮に、「一日一日という言葉を持たぬ・・・」とすれば、一日に対する重みが増す。しかし、そうではなくて、「いろいろあるんだよ」という意味をもたせたかったからこの歌詞にしたのだろう。
 その2 「一年365日、3歩進んで2ほ下がれ」
  これは、「一年ってたくさんあるんだから(人生は長いのだから)、ちょっとくらい下がったっていいんだよ。頑張り過ぎなくても(焦らなくても)いいんだよ」というメッセージが込められている。

4.おわりに
 365日も使いよう。言葉を大切にしよう。

2011年6月12日日曜日

Mary had a little lamb

以下に紹介するのは、
エミネムのEvil Seedsという曲です。

以前にも、

今回もまた、ある種のパロディーを見つけたので紹介します。


この曲のevil seedsはたぶん、「悪魔の子種」というような意味合いで、eminem自身の事を指します。


「子どもが出来て、
なんだかんだで生まれたけど、
要らないから隣の家に捨てた。
その家の人も要らないからってたらいまわしにされて・・・」

という内容から始まるのですが、
実話なのかどうかは分かりません。



さて、問題のmary had a little lambの箇所ですが、


「小学校時代に、
mary had a little lambっていう具合に、
debbie(母) had a satan spawnって歌った。」


という使われ方がされています。

little lambとmaryの関係と、おおよそ対をなすのが
eminem と Debbieの関係であるように聞こえ、
皮肉っぽい使い方だなと思いました。




もうひとつパロディーがありました。
というマザーグース(童謡?)からのパロディーもあるそうです。

evil_deeds_に関するブログを見ていて知りました。



関連動画↓


ウィキにもありましたが、この童謡はBlack Death(ペスト)に関連があるそうです。




なにはともあれ、パロディーを混ぜながら歌うeminemはやっぱりかっこいいです。

先ほど挙げた、
に、和訳もあるので、
そちらも参考程度にお楽しみください。





2011年5月6日金曜日

The Sound of Silence に秘められたメッセージ

Simon ans Garfunkel の (The) Sound of Silenceと言えば、それ自体でも、「卒業(The Graduate)」の主題歌でも有名なので御存じの方もたくさんいらっしゃると思います。(念のためYoutubeから動画を紹介します)



最近読んだ『海辺のカフカ』の一節にあった、「沈黙は耳に聞こえるものなんだ。(新潮・上巻p.291)」というセリフについて考えているうちにふと思い出して、もう一度聞いてみました。 

やはり聞き心地が良いなと思う一方で、「これってどんな内容の歌詞だっけ」という疑問が浮かびました。
今まで歌詞に注目したことはなく、その雰囲気から「静寂っていいよね」くらいのイメージしか抱いていませんでした。

そこでGoogleで歌詞検索をかけ、改めて歌詞と向き合ってみると、今まで抱いていたイメージと違うように思えました。なんだか途中から、The Sound of Silenceが負のイメージを持っているように感じました。
それからいろいろと調べているうちに、色んな事が見えてきて、色んな事が分からなくなったので、今ここで少し考えをまとめてみようと思います。

まとめに当っては、①新しく見えてきた自分の解釈と不明な点②同じように解釈してあるサイトによって明らかになった点③未だに不明な点、という三つの段落に分けて書こうと思います。歌詞を解釈することに関してあまり良く思われない方もいらっしゃるとは思いますが、一学生の勉強にすぎない事なので、どうかお見逃しください。また訳の提示の際には、誤訳・誤解などあると思います。御理解の上、ご指摘頂けると光栄です。


1. 解釈
1.1. これまでの解釈
静かな調子のメロディーと、Sound, Silence, softly, sleeping, whisperなど、[s]の音を含む単語などから、何となく静かな風景を思い浮かべていた。

1.2. 新しい解釈
1.2.1. 解釈のきっかけ
肯定的なイメージで捉えていたのに、歌詞中に否定的な語句や、Silentの対義語とも言えるものが出てくる点が気にかかった。具体的には、in the restless dreams, flash of a neon light, silence like a cancer growの三点である。以下に、それぞれの箇所で新たに見えてきた解釈をまとめる。

○in the restless dreams・・・夢の内容がSilenceとはかけ離れていると言う点が見えてきた。
○flash of a neon light・・・明らかに静かな状況にはないものであり、Silenceを妨害するもの。つまり「負のイメージがある」と言うことが出来るだろう。したがって、その次に続く、 “in the (naked) light I saw……” の後にくる「私が見た物」は負のイメージのものであるはずである。しかし今まではその「私が見た物」が肯定的であると捉えていたため、解釈が止まった。この点については「1.3. 不明な点」で後述する。
○silence like a cancer grows・・・上の二点で、「Silenceを妨害するものは悪」というイメージを持っていたのだが、ここで「Silence≒Cancer≒悪」という関係が見えてきて、分からなくなった。これも後述する。

1.2.2. 文構造
「1.2.1. 解釈のきっかけ」を見つけてからもう一度歌詞を見ると、そこに特殊な文構造が見えてきた。具体的に示すため、歌詞のあるパートを引いて説明する。先に述べておくと、ここでは一番下の行のtouchedに注目する。( )内の訳は便宜上のもので、簡略化してある。

In restless derams I walked alone                (夢の中、僕は歩く)
Narrow streets of cobblestone.                  (細い道を)
Neath the halo of a street lamp.                 (街灯の下を。)
I turned my collar to the cold and damp            (寒さに襟を立てる)
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light  (ネオンが光って)
That split the night                         (夜を裂く)
And touched The Sound Of Silence.      (そしてSound of Silenceに触れる)

(すかさず余談。訳を書いていて気付いたが、Sound of SilenceはSOSである。この意味は後で分かると思う。以下本題に戻る。)

最後のところで、Sound of Silenceに触れたのは誰か。「the... neon light that split the night and touched....」という風にとって、ネオンが触れたとするのか、ちょっと前に戻って「I turned my collar....and touched ....」と取って「僕」が触れたとするのか。ここでは後者の方がしっくりくるように思える。つまりここから分かる事は、「主語と動詞が離れている」という点である。

1.3. 不明な点
二点述べる。「1.2.1. 解釈のきっかけ」で触れた点を一つにまとめ、さらに歌詞の意味に関して一点。

○ Sound of Silenceとは何か
・その光の中に見た物は、「口も利かず話す人」と、「耳も貸さず聞く人」(訳参考:宮 寿陵さんのブログ)、そして、「声では表現できない歌を書く人」であり、「誰も沈黙を破らなかった」という情景である。これがなぜ「負のイメージを持つ光」の中に見られたのか。「沈黙を破らない事」がなぜ「悪」になるのか。

・なぜ「Silence」が悪になるのか。百歩譲ってSilence=悪が解決したとすれば、上に挙げた「誰も沈黙を破らない状況」が悪であることは解決する。しかし、それはなぜなのか。一体、「Silence」もしくは「Sound of Silence」は何を指すのか。

○ 歌詞の意味するところ
最後のところで、“人間が創り出したネオンの神”が「預言は地下鉄の壁、安アパートの廊下にある」と示す。そして人々は(たぶん人々が主語だろうが)「沈黙の音の中でささやく」のである。

・まずここの、「預言の内容」が表すことがわからない。

・ 主語は本当に人々なのかと言う点と、ここでささやく事が何を示しているのか分からない。「People bowed and prayed to the neon god they mede.......(中略).........And whispered in the sound of silence」とあるので、bowed and prayed and whisperedと読めば、「祈りの言葉をささやく」と言う風に取れなくもないが、結局何を指すかは不明なままである。

2. 問題解決
ここでは「1.3. 不明な点」で挙げた二点に関して、二つのサイトから分かったことをまとめる。ただし、記事の内容において共感できない(理解できてない)箇所もあるため、引用する箇所などは、自分に都合のよいようにする。
2.1. ブログから分かった事
まずはこちらのブログから。二点について言及されている点をまとめる。

○ Sound of Silenceとは何か
このブログによれば、現代の文明の発展(ネオンが象徴するもの)に伴うコミュニケーション喪失の事であるらしい。以下にその本文を引用する。

文明によって、蒔かされた種子は、いつしか夜という絶対の価値すらも危うくするほどに成長してしまったのだ。その中で、無批判に人々は無価値・無意味・不 条理な人生を送っている。その状態をポールは沈黙の音(ザ・サウンド・オブ・サイレンス)と規定しているのだ。すなわち沈黙の音とは、文明の中の「あるも の」(物質)を指すのではなく、文明の変化過程における「ある状態」(時間)を指していることになる。その状態とは、コミュニケーションというものを喪失 した社会における人間の有り様と言えるだろう。ここにおいて作者が「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」(沈黙の音)というタイトルに込めた意図が明らかに なる。つまりこのタイトルは、現代の文明が、日常はき出している騒音か雑音つまり「ノイズ」ということに単純化することも可能となる。
(下線筆者)

○ 歌詞の意味するところ
この点には、私が抱いた疑問とは違う角度で触れられていたため、ここでは「And whispered in the sound of silence」の日本語訳のみ引用する。

それでも沈黙の音の中で人々のささやきは続く・・・」

「それでも」というところから、何かもやもやしたものは感じ取れるが、直接の解答には成り難いと判断し、このブログからの引用はここで終わる。

こちらはブログではないが、参考になったので紹介する。

○Sound of Silenceとは
こちらでもやはり、コミュニケーションの喪失であるとされている。こちらではもっと「癌」と関連付けて「ディスコミュニケーションは癌みたいだ」と書かれている。

○ 歌詞の意味するところ
これに関して、なるほど、と感じた個所があるので引用する。

ネオンのメッセージが囁いている。都市そして文明こそわたしだ。わたしを拝みなさい。そういう言葉に数知れぬ人々が従っている。愚かな! 
  しかし、これは夢ではない。夢なのか? 暗闇よ、ぼくの親しんできた孤独の夜よ。都市の夜は、孤独で、人々との交わりも何もない。うらぶれた地下鉄駅や、どこかのアパートの汚れた壁。これが答えだと? これが預言だと?

2.2. 以上を踏まえた、二つの疑問点の自己内解決
二つのサイトを併せて考える。

一つ目の「Sound of Silenceとは」という問題は解決したように思える。また、途中の思いつきの「SOS」にかんしては、人類のコミュニケーションが発する、音にもならない「SOS」、それが「Sound of Silence」である、という勝手な妄想も膨らむ。

二つ目の点に関しても、教えてgooからの引用から、

こんな下らない預言しか与えてくれないのに、「それでも沈黙の音の中で人々のささやきは続く・・・」。何と愚かなことか。

と考えることは出来そうだ。したがって、ここの構造は、「People bowed and prayed and whispered」と取ってもよさそうである。

3. 残りの疑問点
特に気になる点を一点だけ述べる。
・地下鉄の壁と安アパートの廊下は、ただ「下らない預言」を表すだけなのか。他に意味は特にないのか。
のブログを見ていると、この歌詞における単語は一つ一つ丁寧に選ばれているような印象を受ける。それなのにここではこの単語を選んだ理由がつかめない。そもそもここの解釈は正しいのかどうか不明であるが。


以上、ここまで読んでくださった方、長文・駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。もしなにか意見等ございましたら、是非お寄せください。

参考サイトリンク(勝手に参考にしました。ありがとうございました。)



後々気付いた事ですが、こちらの動画の最初に彼ら自身が少し説明を入れていましたので、最後にそれを紹介して終わります。

2011年4月15日金曜日

Hush Little Baby~パロディーと翻訳~



0.パロディーと翻訳
パロディーとは、ある元の作品をもじって、新しい作品を作り出す行為である(とする)。これは、パロディーのもとを「原文」、パロディー作品を「翻訳文」と考えることも出来る。今回は、パロディーを翻訳行為ととらえる。このことについて、最近読んだ本「翻訳行為と異文化コミュニケーション―機能主義的翻訳理論の諸相―」にある、スコポス理論をもとに考察していく。また、動画リンクを貼ったEminemのほかにも、RIP SLYMEやFlow・AAA・EXILEなどのJpopミュージシャンも引き合いに出し、主観的な考察を加える。

0.1 スコポス理論とは
スコポス理論とは、「翻訳は、目的に応じてその姿を変える」という理論である。つまり、一般の人が読みやすい訳文を作るか、その道の研究者たちが内容を知るための訳文を作るか、映画の字幕のように字数制限内で訳文をつくるかでは、同じ英文からでも全く異なった「翻訳文」ができる。この理論をもとに、先ほど挙げたミュージシャンたちの「翻訳」を“簡単に”且つ“主観的に”分析していく。

0.2本考察の構成
本考察は、著者が良いと感じたパロディーに関して、実例を挙げながらその良さについて考察していく。

1.良いパロディーその①
ここでの良いパロディーの定義は、「目的の設定が適切で且つ達成されている。また、元ネタを知っている事で、また元ネタと照らし合わせることで、その曲の深みが分かるもの」とする。所謂、「深いうた」である。
適切な目標設定とは、元ネタの表面上の意味ではなくその「エッセンス」を理解して使っている(14・17再々まとめの、1.2.2参照)ということである。
1.1.エミネム
Facebookのエミネム関連のページで、"Why is Eminem cool?"か何かの質問と、それに対する答えが書かれていた。その答えの一つに、「エミネムは日常をうたっているから」という回答があった。このmockingbirdも、日常をうたっているものと言えるだろう。大まかな内容は、「母がいない状況の娘たちに向けたもの」である。

また、この歌はある種の”パロディー”でもある。この歌のもとになっているであろう詩は、nursery rhymesの。Hush Little Baby


この詩の内容は、「お母さんが何でも買ってあげるよ」というものである。

つまりこの歌は、「何でも買ってあげる」という内容を、「娘たちに向けた励ましのメッセージ」として翻訳(改作)したものであり、元の詩が意味したことをそっくりそのまま”エミネム化”していると言えるだろう。

歌詞にある、[I'm a give you the world]に込められているであろう気持ちは、元ネタを知っていないと見えてこないかもしれない。(元ネタではさすがにworldを付与する場面はない。この点でエミネムは、元ネタの母を凌駕している)

つまり、「元ネタをも超えるほど愛している」というメッセージを伝える目的のもとに為されたパロディーであると見ることができ、それはみごとに成功しているのではないか。

1.2 RIP SLYME

RIPに関しては、以前に「Wonderful」を紹介したページ、「wopbabalubop-wopundo」を参照。


どことなく漂う昭和の香りは、元ネタの知識なくしてはなかなか味わい切れないだろう。

詳しくはしらないが、「良き古き時代を現代に」というメッセージ(?)、もしくは「今昔融合」を目的としていると言うことが出来るのではないか。だとしたら、見事に成功している。

1.3. Flow
有名なのは、「贈る言葉」。海援隊の名曲のカバーである。別れを惜しむ気持ちを隠した、男泣きをイメージさせるような歌である(ように思う)。
海援隊とFlowでは、時代が違う。
海援隊は、正に「男泣き」である。一方、Flowは、むしろ「自棄っぱち」である。
Flowは、「自棄っぱち」をかっこいいと思ったか否かは置いておいて、「男泣き」という日本の芸術を現代語訳すると「自棄」になる、と解釈したのだろう。唯一の違いは、「男泣き」は”かっこよく”て、「自棄」はみっともない、という点である。Flowがそこを分かっているのか、「自棄はかっこいい」と勘違いしているのかには触れない。

2.良いパロディーその②
ここでは、原曲がよいため、そのままカバーした曲が良いものに仕上がっている例として、AAAの「もう恋なんてしない」を挙げる。
要するに、原曲:牧原則之(マッキー)を聞けばよいというはなしではあるが、現代の若い人が古い歌を聞くためのキッカケとしては良いであろう。
つまり、「古い歌を知ってもらおう」という目的で作られた歌であり、あながち失敗はしてないと思う。

3.良いパロディーその③
ここでは、名曲を世間にもう一度広める役割をしている歌を取り上げる。
か有名な、EXILEの銀河鉄道999(笑)である。
この曲は、999の存在を世に知らしめるためだけに作られた歌である。しかし、EXILEはここに一つ付け加えをしている。「原曲の否定」である。無様にも取り入れられたラップの箇所。その意味を見てみると、

「銀河に行くのは夢ではあるが、結局俺たちは人間だから無理。じゃあせめて、このライブで銀河に飛んでいくくらいにノリまくれ!」

というふうにも取れる歌詞になっている。http://music.yahoo.co.jp/lyrics/dtl/KAA055029/AAA180952/

つまり、この曲の目的は、「過去の偉大な作品の威を借りてひと儲けしよう」ではないか。残念ながらそれは成功を収めているように思える。

これを機に、「原曲を世に知らしめる」と言うの本来の目的を思い出して、偉大な「ゴダイゴ(Godiego)」の銀河鉄道999の良さをかみしめようではないか。



追記:銀河鉄道999に関しては、以下のブログ記事で興味深いことを述べている。