翻訳と日本語訳は違う。翻訳については、『翻訳はいかにすべきか』という本に関しては、別の記事にまとめてあるので、ざっくりと二つの違いをまとめると、次のように説明できる。
翻訳:原文を読むのとさして変わらないものにする
日本語訳:原文にある内容が、日本語でも理解できるようにする。
具体例としてわかりやすいのは、red herrings(赤ニシン)を題材にした英詩の訳である。
原文:I admired her rings.
日本語訳:私は彼女の指輪をほめたたえた。(注釈:admiRED HER RINGSの部分に、題材のred herringsが隠れている)
翻訳:私は彼女の指輪の赤に心底惚れた。
日本語訳では、注釈がなければ「おおーすげー」とはならない。原文や翻訳では、注釈がなくても感動できる。
にわか翻訳ファンとしては、柳瀬尚樹さんの訳が個人的には好きである。「日本語は天才だ」とは柳瀬さんの言葉であるが、彼の翻訳を見ていると、確かに日本語は天才だと思わされる。先に挙げたred herringsも、彼の訳であったと記憶している。
ということで、翻訳って面白い、奥が深い、ということをわかってもらいたいので、授業で生徒に翻訳させた英文と、その翻訳文を紹介する。
不思議の国のアリスより
He was a turtle, but we called him Tortoise. Why? Because he TAUGHT US!
生徒訳
僕たちの先生は立派な雄牛だったが、みんな子牛って呼んでたよ。なんでかって?彼が講師だったからさ!
うちの先生は白猫だったけど、黒猫って呼ばれてた。だって尾も白みがなかったからね。
先生とは赤の他人だけど、親子関係さ。あいつがいなけりゃ始まらない。あいつはチーチャーだからな。(麻雀 起家[チーチャ] 最初の親をする人のこと)
不思議の国のアリスより
That's the reason they are called lessons, because they lessen from day to day.
授業数は日ごとに減るんだよ。地獄みたいな授業だからヘルのでちょうどいいだろ。
授業数は日ごとに減るんだよ。「まなび」なんだから、「まのび」させないようにしなきゃ。
言語数理運用科だろ、言数なんだから減数していくんだよ。
いろんな現象を教えてくれたのさ。減少する現象もね。
なぞなぞより
Where does today come before yesterday? In a dictionary!
今日より明日が先に来るのはどこ? 辞書!
など、「この言葉遊びは翻訳できないだろ」と思うようなものが、日本語でならできてしまう。
難しいのは、なぞなぞである。例えば、
Why is a like noon? Because they are middle of the day!
Aと正午が似てるのはなぜ? どちらもDAYの真ん中だからさ!
という風に、無理やり日本語にすることはできても、日本語に翻訳することは難しい。しかし、なんとか頭を絞ると、それっぽいものが出てくる。
「よ という文字と正午の共通点を述べよ。 どちらも今日の真ん中だ」
しかし、翻訳では訳しきれなかった原文の魅力がある。それは、Aという文字がアルファベットの最初の文字である、という美しさである。日本語にするなら、「あ」という文字に置き換えなければならない。つまり、最も美しい翻訳の形は、
「○ という文字と、正午の共通点を述べよ。 どちらも○○の真ん中だ」
である。それを満たそうとすると、「日」という字の真ん中が「一」という漢字であることに注目して
「一 という文字と、正午の共通点を述べよ。どちらも「日」の真ん中だ」
という風に、何とか翻訳できてしまう。調子にのって、いくつか考えてみようと思う。
Why can't a bicycle stand on its own? Because it is two tired.
簡単にやろうと思えば、日本語は天才なので、自転車という漢字自体がこのジョークの答えとなっている点を生かして
「自転車はなぜ自立できないのか。できないから自転車なのだ」
哲学っぽくてかっこいい。
What becomes shorter when you add two letters to it. Short
2行加えたら短くなるものなんだ? 川柳・俳句(短歌になる)
終わりに
翻訳って、頭の体操みたいな気がします。なぞなぞを解いたり、クイズを解く感覚と似ています。今回は、そんなパズルみたいな翻訳ばかり紹介してきましたが、通常の文も日本語訳と翻訳では違いますし、より高等な技術や知識を求められます。例えば、
I love you →月がきれいですね
なんて有名ですが、つまりは、そのセリフや文章の言い手、書き手になったつもりで、何を伝えたかったかを100%理解したとき、自分なら(日本人なら)どういうだろうか、どう書くだろうか、と想像して言葉を選ぶのが必要なんだと思います。