プリテンダー きもい ださい ひどい などが検索結果に出てきます。しかし、そういう人たちは、本当に髭男のことをわかっていません。なんとなく気持ち悪いとか、不倫だ、とか、クズ男の曲だ、とか、全く的外れな感想を書いているブログが多いのです。今回は、そんなコキおろされる髭男の魅力について書いていきたいと思います。
0. はじめに
今更ですが、ひげだんのcry babyという曲を聞いたことがあるだろうか。ざっくり要約すると、
パンチされた。ショボーン。パンチし返さなきゃ。貴殿の隣にはおれぬでござるな。フォヌカポゥ。
という感じです。だいぶ悪意があるような要約ですが、こう表現するのは、彼らへのリスペクトあってのことです。その理由を以下に説明していきます。
本記事は、以下のような流れで進めていきます。
1. ひげたんの作詞における魅力
2. 本作cry babyの作詞における表現
3. 陰謀論
4. おわりに
1. ひげだんの作詞における魅力
ひげだんの歌詞が良い、というのはあまり聞かない(筆者の世界が狭い)のですが、今までの作品で
「心臓から溢れ出す声」
という抽象的な比喩表現や、
「ラブストーリー」「予想通り」「アイムソーリー」
という面白い韻を用いるなど、文学的といっても過言では無いほどの作詞をされています。つまり、
「この人たちの作詞能力は高い」
ということが言えます。したがって、心地の良い韻を踏むことも、歌詞に深みを持たせて聞き手に想像の余地を残すことも、自在にできてしまう、と考えてよいでしょう。
そしてなにより、上述のことから、次のように考えることもできます。
「曲(歌詞)をカッコよくも、ダサくも、自在にできる」
これを理解しておかないと、cry babyの真の良さを見出すことは難しいでしょう。
2. 本作cry babyにおける表現
この曲が始まってすぐに聞こえる、「パンチ」という単語。子供っぽくてダサい。しかし、ヒゲダンは以前、わざとダサくした曲で大ヒットしています。それが、pretenderです。つまり、今作もあえてダサくするために、この単語を用いているのだと推察できます。
(pretenderに関しては、別の記事で論じてありますので、是非ご笑覧ください。pretenderに関する記事リンク)
殴る、殴られる、やられる、、、など、他人から打撃を受けた、ということを表す類義語に関しては、枚挙にいとまがありません。しかし、あえてその中から「パンチ」という単語を選ぶ語感は、素晴らしい。これには、
「喧嘩は大人がやることじゃ無い。子供の戯れ事だ。」
というメッセージが隠されています。
このように述べる理由はいくつかありますが、ここでは二つ紹介します。
2.1. これまでの曲の雰囲気から
ひげだんは、恋がどうのとか、奇跡を信じて、のような、陳腐な歌詞を用いておりません。(私の知る範囲では。)たとえば、「恋人に見せかけた性の対象としての存在」を歌ったpretenderや、単に「宿命を」ではなく、「宿命ってやつ」と言葉を足すことで、「宿命」という単語の陳腐さを揶揄した曲など、いわゆる「カッコいい」の路線からは外れた、オタクチックな曲を主として売り出しています。
この「オタク」が、「喧嘩」をテーマに歌って、カッコいいわけがない。それを承知で、背伸びせず、オタクらしく「ぱんち」と言っているのです。
2.2. 一番のサビに仕組まれたトリック
1番のメロディの歌詞をざっくり追うと、
「予報通りの雨」が降る中、「(喧嘩に負けて)背中を合わせて」座っていると「傷が綺麗になる」というセリフや「目が潤んだ」という状況になっている。
また、サビに入ると、「何度も涙を流して、流して」いるという歌詞まで出てきています。
もう、この時点で、この「予報通りの雨」が、小雨なのか大雨なのかは容易に想像できます。どう考えても、「土砂降り」です。
「大雨」や「土砂降り」と言った、直接的な表現を避けながらも、「土砂降りである」ということを聞き手に想像させる(映像として浮かばせる)というのは、相当な技術です。
それなのに、サビの最後に「土砂降り」という単語をあえて持ってきています。この土砂降りという言葉一つで、そこまでに積み重ねた歌詞を見事にポシャらせていますね。なぜか。それは、こんな喧嘩・暴力の話をポシャらせてしまいたいという気持ちが現れているからです。
加えて、「今まで遠回しに土砂降りだと言ってきたけど、君たちみたいにパンチパンチで喧嘩してる子供たちにはわからないでしょ?」という、喧嘩する子供たちを小馬鹿にしているというのも理由としてあるのではないでしょうか。曲名も、「泣き虫の赤ん坊」です。直接言わないとわからないでちゅよねー?ばぶばぶ。ってやつです。(なお、cryには、war cryのような、雄叫び(叫ぶ)という意味もあり、曲調からはそちらを連想することができるように仕組まれています。)
この2点を踏まえると、やはり、「パンチ」という子供じみた単語を用いて然るべき曲だということがわかります。
3. 陰謀論(?)
ヒゲダンは、わざとダサい曲をつくっています。これは、「恋人」や、「宿命」「暴力」と言った、若者がつい「カッコいい」と錯覚してしまう「悪の存在」を駆逐すべくやっていることではないでしょうか。若者が感じている「恋人」や「愛」とは、一過性の「エロス」に過ぎない。「宿命」という、約束された将来など存在せず、「未来」を自ら作ることでしか前に進めない。「暴力」を「権力」として扱い、無為に争いを生むことはみっともない。このようなメッセージを発信していると考えなければ、ヒゲダンの曲がダサいことの理由が見当たりません。
もう一度書きますが、彼らの作詞能力は高いのです。
隠れたアンチテーゼを読み取れるものにしかわからないように緻密に言葉を選ぶことも、彼らには可能です。
本当の意味での「愛」は、歳をとるにつれてだんだんと身に染みてわかるようになります。ヒゲダンの曲も、歳をとるにつれてより深く理解できるように設定されているのです。
このユニット、「髭」を生やしていないですよね?これは、
「いまは髭が生えていない若者だ。まだわからなくていい。髭が生える頃には、君はこの曲を理解しているだろう。それが、ダンディズムだ」
というメッセージです。ユニット名から、世に送り出す歌詞まで、本当によく考えられていると思います。
4. おわりに
最初の要約で、あえて小馬鹿にしたような表現を用いたのが、リスペクトからくるものだ、ということは、もう理解していただいていると思います。
もし、彼らが「カッコいい」と思ってこれらの曲を書いているのなら、それは大変な失礼です。また同時に、このヒゲダンというユニットは本当に残念なアーティストです。
しかし、実際はそうではありません。
とはいえ、このように巧妙に隠そうとしているメッセージをここで明らかにしたことは、彼らへの冒涜かもしれません。しかし、これは、彼らに寄せられる、考えなしの批判に対する憤りからくる行為であるとご理解いただけると幸いです。
official髭男dism ダサい? そんなことない。彼らは、あえて、ダサさを演出しているのである。