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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ

2011年7月24日日曜日

小説の多様性

本記事は、

・宮部みゆき(2001) 『心とろかすような ~マサの事件簿~』 創元推理文庫
・眉村卓(2004) 『妻に捧げた1778話』 新潮新書
・星新一(1972) 『ノックの音が』 講談社文庫

を読んでの感想・まとめである。それぞれに付いての感想・まとめ、三冊を通して思ったことなどを書いていく。



1. 宮部みゆき 『心とろかすような』

本書は、同著者による『パーフェクト・ブルー』という作品の続編のようなものであるが、特に前作を知らなくても楽しめる。

1.1. まとめ
本シリーズは短篇集になっていて、マサという犬が主人公である。探偵事務所の犬である。周りに起こる事件を色々解決していく課程が、犬の目線で書かれている。動物には人間の言葉がわかり、時には動物同士で「人間の言葉」を使って会話するのだが、口の作りから人間に理解できるほど明確な発音はできない、という設定になっている。動物同士の会話・やり取りと、それをうまく理解出来ない人間の関係が興味深い。また、短篇集ならではの「読みやすさ」・「プロットやちょっとしたどんでん返し」と、宮部みゆきによくみられる(と思う)「いいお話的なオチ」など、サクサク楽しみながら読める。

1.2. 感想
今回は犬の視点であったが、本著者は人間以外の視点が多いような気がする。人間以外の視点であるから新しい感じがするのか、そういう見方・考え方があったか、と思わされる。短編ではあるが、ちゃんと「登場人物の背景」「プロット」「オチ」などがあって、飽きずに読むことができる(ような気がする)ところが良いと思う。


2. 眉村卓 『妻に捧げた1778話』



2.1. まとめ
本書の、1778話というのは、病床に伏す妻のために著者が書いた短編の数である。毎日一話ずつ書いたということなので、書き始めてから1778日間のお話である。本書は、その短編のかかれた背景にある妻と著者の関係や、1778話の内の数話が取り上げられ書かれている。本書に出てくる短編は、以下にあげる「日がわり一話」などに収録されているものの一部である。はっきりと落ちの無いもの、なるほどと思うようなものなど様々ある。それぞれ、「背景となる出来事など」を読んでから短編を読むようになっている。また、短編の後には著者による「自己注釈」が付いている。







2.2. 感想
 短編の種類などはいろいろあるが、どれもその背景となる「妻の病状」などといったものが反映されているような気がする。背景によって読み方を変える、というのには賛否両論あるだろうが、これもひとつの読み方としてあっていいのではないかと思う。
 最後に、"作品を読んだ妻の反応が予期せぬものであった”というところから、"お互いに理解し合えてないところがあった”ことに気づいた著者が、「少し長いあとがき」にて書いていることを引用して、本書のまとめを終わる。

「人と人がお互いに信じ合い、共に生きてゆくためには、何も相手の心の隅から隅まで知る必要はないのだ。生きる根幹、めざす方向が同じでありさえすれば、それでいいのである。私たちはそうだったのだ。それでいいのではないか。」



3. 星新一 『ノックの音が』

3.1. まとめ
本書には15編の短編が載っているが、そのすべてが、「ノックの音がした。」と始まる。同じ始まり方でも、内容が全て違う(当然)。どれも20ページそこそこで、すぐ読み切ることができる。登場人物の人物背景などに関する記述は非常に少なく、話の展開の面白さに重点が置かれているような作品である。中には、背景描写がないからこそ映える作品などもあって面白い。

3.2. 感想
人物に感情移入するようなことは少なく、話の展開だけに集中して読んでいたように思う。また、作品がそれぞれ短くてスッと読みきってしまうので、もう一話だけ、もう一話だけ、という間に終わっていたような感じがする。いわゆる「人情もの」が好きな人にとっては、人物の背景描写が無いのは痛いかもしれないが、書かれていない分勝手に想像することができる。いろいろ妄想しながら、想像しながら、先の展開を考えながら読むことができて、個人的にはとても面白かった。


4. 三冊を通して
今回取り上げた本はどれも、「短篇集」であった。同じ短編集でも、ある程度の人物設定・背景があるものや、著者自身の生活という背景があるものや、展開が主なものなど様々あった。そしてそれぞれが、短編だからこそ面白いのではないかと考えた。例えば、この中のどれかの作品が、そのスタイルのままで数百ページの長編として出てきたら、途中で飽きてしまいそうな気がする。どんでん返しばかりでは疲れるし、人物描写だけになった時点で「事典」である(もちろんそれがいいこともあるかもしれないが)。長編では、人物の背景描写も重要な要素であるし、突拍子も無い展開もひとつの読みどころであったりして、その色んな条件がうまい具合に相互作用しあって初めて面白いものになるのだと思う。そう考えると、短編というのはいわゆる「イイトコどり」の作品ということができはしないか。

結論が見えなくなってきたが、要するに「本は面白い」ということで、ご勘弁願いたく思います。

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