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広島大学教育学部卒業。 読書・昼寝・ゲーム・カードゲームなどを趣味とする。 RIP SLYMEが好き。宮部みゆき・東野圭吾・星新一・夏目漱石・小川洋子が好き。 最近数学・宇宙論・翻訳などに興味がある。 アニメ・声優オタ

2024年9月29日日曜日

自分の英文を翻訳する

 翻訳は楽しい。過去にいくつか翻訳の面白さについて書いてきたことがあるが、最も面白い翻訳のあり方の一つに、「自らの作文を英訳・日訳する」と言うのがある。この記事では、翻訳の定義をした後で、具体例を用いて解説する。


1. 翻訳とは

 ここで言う翻訳とは、「筆者が書きたかったことを、他言語で、(ほぼ)100%表現すること」であり、「原文の読者も訳文の読者も、同じ体験を得ることができる」である。つまり、言葉遊びの面白さや言葉のリズムを楽しむ作品であれば、翻訳もそのような作品でなければならないし、情景をありありと思い描かせるような作品なら、訳文もそうあるべきである。たとえば、

Madam, I'm Adam.

これは回文であるので、

アダムだあ!

とでも訳してもいい。ただし、原文の「すげぇ感」を出せてないこの訳文は駄作である。

A santa lived as a devil at NASA.

これも回文。

世の中、NASAのサンタ、探査の最中なのよ

むりぽ。

古池や 蛙飛び込む 水の音

The sonud of silence lies in a frog that dives.

詩的表現は私的に詩的にしたので、わたし的には指摘はして来て欲しくないし、敵は作りたくないです。


2. 他人の文章と自分の文章

 他人のものをいくつか「翻訳(笑)」してみたが、他にもやりようがあるだろうし、何より筆者から、「そんなことを言ってるつもりはない」とか言われたら終わり。読者からも、「原文の奥ゆかしさがなくね?」と言われたら終わり。

 しかし、それは当然起こることである。なぜなら、

「回文を考えるような人とか、詩を書く人とか、超気持ちいい文を書く人たち」と、「私(訳者)」の文章力が桁違いだからである。プロ野球選手の打ち方を見て真似たところで、私にはヒットどころか球にもかすりはしないだろう、と言うのと似ている。

 一方、自分の文章では、「原作者」と「翻訳者」の力がほぼ同じである。あとは、第二言語と母語の実力差が問題だが、ネットや辞書のおかげでその差をわりかし縮めることはできる。


3. 翻訳とは リターンズ

 ということで、翻訳の定義に戻ると、自分の文章が最も正確に翻訳できる文章だ、と言う事になる。最初に見苦しい訳をのせたが、自分が書いたものなら割と筋のいい翻訳ができる。例えば、


あした いつもの 運動公園で 遠足を 行う。


こんなしょーもない文、訳すのも気が楽である。


Anyone enjoys illustrating one unicorn.

All boys can draw ellephants.


そう。文に意味などなく、あいうえおが使えていればいい。そんな文を書いたので、それ相応の訳ができている。


Since I was 20, I have read one or two books everyday.  Yet, I still have too many more to go.  On the corner of my room, they are always piled up.  Probably, I will never finish reading all of them because I keep buying new ones everyday.  You will be surprised to see how much I spend on books. 

日課として、2冊程度の読書を、二十歳から続けてきた。ただそれでも、本は溜まる一方。うちの部屋のすみには、常に積み上げられた本が。頑張って読んだところで、きっと読み終わらない。いつも読み終わるより先に新しい本を買うからだ。黙って積まれる本たち。ちゃんと読まれるかもわからぬままに。

しりとりだって、自分の文だから思うように内容をかえられる。


4.翻訳の面白さ

 翻訳が面白い、と感じるのは、原文がやろうとしていること(書こうとしている事)を、別言語で100%表現できた時である。

 では、その完成度が100%なのかどうかをどう判断するのか。それは、

翻訳者 と 原文の作者 と 読み手

である。最も大事なのは、原作者と読み手である。そして、その原作者と翻訳者が同一の場合、読み手の評価のはさほど重要にならない。なぜなら、

「原作者が伝えたいことって、こうですよ?」

と言えるからである。(もちろん、文法ミスや明らかな誤訳など、純粋な翻訳ミスがあれば読み手も指摘できるだろうが。)


ということで、自分が書いたものなら、自分が最も納得できる形で翻訳ができる。

もちろん、プロに言わせれば、もっと良い訳ができる場合もあるだろうが、それはおそらく、原文よりもレベルの高い、質の高いものになる。つまり、80点の原文なら80点の訳が最適なのである。そして、近い点数で翻訳できるのは、原作者の他にいない。


翻訳、まずは自分の文章でやってみるのもいいのでは?

2024年1月21日日曜日

翻訳の面白さ

翻訳と日本語訳は違う。翻訳については、『翻訳はいかにすべきか』という本に関しては、別の記事にまとめてあるので、ざっくりと二つの違いをまとめると、次のように説明できる。

 翻訳:原文を読むのとさして変わらないものにする

 日本語訳:原文にある内容が、日本語でも理解できるようにする。

具体例としてわかりやすいのは、red herrings(赤ニシン)を題材にした英詩の訳である。

原文:I admired her rings.

日本語訳:私は彼女の指輪をほめたたえた。(注釈:admiRED HER RINGSの部分に、題材のred herringsが隠れている)

翻訳:私は彼女の指輪の赤に心底惚れた。


日本語訳では、注釈がなければ「おおーすげー」とはならない。原文や翻訳では、注釈がなくても感動できる。


にわか翻訳ファンとしては、柳瀬尚樹さんの訳が個人的には好きである。「日本語は天才だ」とは柳瀬さんの言葉であるが、彼の翻訳を見ていると、確かに日本語は天才だと思わされる。先に挙げたred herringsも、彼の訳であったと記憶している。


ということで、翻訳って面白い、奥が深い、ということをわかってもらいたいので、授業で生徒に翻訳させた英文と、その翻訳文を紹介する。


不思議の国のアリスより

 He was a turtle, but we called him Tortoise.  Why?  Because he TAUGHT US!

 生徒訳

 僕たちの先生は立派な雄牛だったが、みんな子牛って呼んでたよ。なんでかって?彼が講師だったからさ!

 うちの先生は白猫だったけど、黒猫って呼ばれてた。だって尾も白みがなかったからね。

 先生とは赤の他人だけど、親子関係さ。あいつがいなけりゃ始まらない。あいつはチーチャーだからな。(麻雀 起家[チーチャ] 最初の親をする人のこと)


不思議の国のアリスより

That's the reason they are called lessons, because they lessen from day to day.

 授業数は日ごとに減るんだよ。地獄みたいな授業だからヘルのでちょうどいいだろ。

 授業数は日ごとに減るんだよ。「まなび」なんだから、「まのび」させないようにしなきゃ。

 言語数理運用科だろ、言数なんだから減数していくんだよ。

 いろんな現象を教えてくれたのさ。減少する現象もね。


なぞなぞより

 Where does today come before yesterday?  In a dictionary!

 今日より明日が先に来るのはどこ? 辞書!



など、「この言葉遊びは翻訳できないだろ」と思うようなものが、日本語でならできてしまう。


難しいのは、なぞなぞである。例えば、

Why is a like noon?  Because they are middle of the day!

 Aと正午が似てるのはなぜ? どちらもDAYの真ん中だからさ!

という風に、無理やり日本語にすることはできても、日本語に翻訳することは難しい。しかし、なんとか頭を絞ると、それっぽいものが出てくる。

「よ という文字と正午の共通点を述べよ。 どちらも今日の真ん中だ」

しかし、翻訳では訳しきれなかった原文の魅力がある。それは、Aという文字がアルファベットの最初の文字である、という美しさである。日本語にするなら、「あ」という文字に置き換えなければならない。つまり、最も美しい翻訳の形は、

「○ という文字と、正午の共通点を述べよ。 どちらも○○の真ん中だ」

である。それを満たそうとすると、「日」という字の真ん中が「一」という漢字であることに注目して

「一 という文字と、正午の共通点を述べよ。どちらも「日」の真ん中だ」

という風に、何とか翻訳できてしまう。調子にのって、いくつか考えてみようと思う。


Why can't a bicycle stand on its own?  Because it is two tired.

簡単にやろうと思えば、日本語は天才なので、自転車という漢字自体がこのジョークの答えとなっている点を生かして

「自転車はなぜ自立できないのか。できないから自転車なのだ」

哲学っぽくてかっこいい。


What becomes shorter when you add two letters to it.  Short

2行加えたら短くなるものなんだ? 川柳・俳句(短歌になる)



終わりに

 翻訳って、頭の体操みたいな気がします。なぞなぞを解いたり、クイズを解く感覚と似ています。今回は、そんなパズルみたいな翻訳ばかり紹介してきましたが、通常の文も日本語訳と翻訳では違いますし、より高等な技術や知識を求められます。例えば、

 I love you →月がきれいですね

なんて有名ですが、つまりは、そのセリフや文章の言い手、書き手になったつもりで、何を伝えたかったかを100%理解したとき、自分なら(日本人なら)どういうだろうか、どう書くだろうか、と想像して言葉を選ぶのが必要なんだと思います。

2024年1月19日金曜日

難単語を用いて エッセイ

他の作品や文法項目は以下のリンクから

作品一覧

  お題

単語 factor, ability, dedicate, environment

文法 特になし

系統 特になし

トリック とにかく難しそうな単語を使って

Excellency cannot be attained in a single day.  Human life would prove inadequate for achieving extraordinary talent. It is more hereditary than acquired, that is, the essential factor for outstanding capability lies in the ability to dedicate oneself to a specific pursuit.  The environment in which one is born and raised plays a significant role in enhancing this dedication.

In retrospect, my family circumstances were disastrous, which is a crucial factor influencing why I am writing this seemingly nonsensical essay.


卓越性は一日で得られるものではありません。人生は非凡な才能を獲得するには不足してしまうでしょう。これは取得よりも遺伝的な要素が強いとされ、すなわち、優れた能力の本質的な要因は特定の追求に自己を捧げる能力にあります。生まれ育った環境は、この献身を向上させる上で重要な役割を果たします。

振り返ってみると、私の家族の状況は壊滅的であり、これがなぜ私がこのような意味不明なエッセイを書いているかの重要な要因でした。


自らの語彙の少なさに打ちひしがれました。今回は、chat gptに添削をしてもらった結果です。自力で書いたのは、以下の英文です。もちろん、単語をたくさん調べました。

Excellency cannot be attained in a single day. Human life would still be inadiquet for achieving the talent. It is more hereditary than acquired, that is, the essential factor to the outstanding capability is represented by the ability to dedicate on a certain matter, with the environment where those were born and raised to enhance the dedication. In retrospect, my family circumstance was disasterous, which was the crucial reason why I am writing nonsensical essay like this.